東京にいると、衣替えの時にしか四季を感じる季語がない。
月曜日の夜東京をたち、いつものように菅平で仮眠をとる。
朝鳥の声で目が覚めて、外を見ると、信濃の山は紅葉が始まっている。
今年は毎日がシンコロのおけげで、自然のうつろいを感じる余裕もなかった。
松代のサービスエリアで、「朝そば」を食べる。「すうどん」みたいな「すそば」(ねぎがきざんでいるだけ)。
東京では毎日そばを食べているけど、長野にくるとパブロフの犬よろしく「そば」を食べる。
その後は、上越自動車道の「あらい」というところ(そこは、高速道路と道の駅が隣接していて、パーキングから野菜の直売所にいける)で、
買い物。朝いくと、春は、こしあぶらやタラの芽などを摘んできたばかりのおじいちゃんおばあちゃんがいて、話しながら
買い物ができる。昨日は「今年はじめてヤブタケ(ならたけ)がとれた」とおばあちゃんが、ニコニコしながら
棚に並べていた。四方山話をしていると、どこからともなく人が集まってきて、20パックくらいあったのが、1パックしかなくなった。
わずか5分。話をしながら、ポーカーフェイスで2パックを静かににぎっていたので、それとヒラタケ(もちろん、どちらも天然)を買った。
レジにいくと、「おおっ~」という声が後ろから聞こえた。じいちゃんが天然のマイタケをもってこられた。
値段をきくと5000円。もちろん東京では倍以上の値段がするけど、「少しこころえがあります」(買おうとしたら、
山の師匠で長崎にかえったSさんの「そんなもん自分で山いってとればよか」という声がした)で、
買わずに、こんにゃくいも、こぶりの「日本いちじく」などを追加で買って、能登をめざす。
山形や福島では、秋になると「芋煮(いもに)」というのをやる。妙高あたりは、やぶたけであたたかいそばを
食べたり、キノコ汁を家族や仲間たちと食べる。
このあたりのそばのつなぎは、オヤマボクチ(ヤマゴボウ )とか、まる芋を使う。
「自然によりそう生活」というのは、「ゆたか」そのものだ。
滑川で高速を降り、氷見の「すしのや」で、鮨をつまむ。昨日は13日で「ひみの日」らしく、12時前にいったのに、
二組待ちだった。氷見は「寒ブリ」で有名だけど、ほかの魚もうまい。ぶりの少し前の小さなブリを「がんど」という。
お酒を飲まないし、マグロなどの冷凍高級魚は喰わないので、いつもふたりで3000円でおつりがくる。
そこから車で10分の「神代温泉(こうじろおんせん)」に500円で入ったら、都会のアカがすっかり流せる。
旅行会社の企画で「GOTO・・」もいいけど、無視して、氷見まで車で、このコースをたどる旅も、おすすめ。
能登の家につく。畑をみてくれる近所の家に、お礼のあいさつがわりに、ワンパターンだけど、「そば」と「珈琲豆」
をもっていく。おかえしに「アオリイカ5尾」「タコ2尾」に「こんかずけ」(米ぬかに、いわしや青魚を漬けたもの)
が我が家にやってきた。「きのこ鍋」の予定だったが、それらを刺身にして、「竹葉」を飲む。
先月は暑くて、花垣を冷やして飲んだけど、10月はぬる燗がいい。来月は、「ぶり起こし」(冬の雷)がきて、
本格的にブリがおいしい季節になる。四季ではない。能登で暮らすと、「十二季」を感じる。感謝。