ぬかずの二発

急に冬がやってきた。そんな感じがする週末。
能登と東京の二股暮らしをしているので、北前船よろしく、
「東京から、珈琲豆やそば」を運び、「能登から棚田米、揚げ浜式の塩、海産物」などを
運ぶのがならわしになった。同時に本や陶器類なども、いったりきたりしている。
「衣替え」ではないけど、洋服類も季節によって、行ったり来たりする。
夏から秋を飛び越えて急に冬がくると、東京で着るものに困る。

「秋ナスは嫁に食わすな」という諺のように、秋のなすは美味い。
ぼくは、とくに「糠床」につけたナスの漬物に目がない。
ぬか漬けは、夏から秋に発酵がすすむので、こんなに秋が短いと、損した気分になる。
嫁にも姑にも食わすこともできない。

ぼくの生まれた小倉では、「ぬか漬け」が昔から盛んなところ。小倉城主の小笠原さんが、
お茶やお花などの古流の礼法といっしょに、「醸しの文化」であるぬか漬けを伝承した。
今でも小倉城まわりに、糠漬けのお店があるくらいだ。嫁入り道具に「糠床」は必需品で、
それを床の間に飾ったので「ぬかどこ」というようになった。「床上手」というのも、ふたつ意味があるのかもしれない。
ナスをつける時、縦に半分に切り、皮のところも、包丁でむいて、塩を浸透しやすいようにする。
胡瓜は、両端を包丁で切って、そのまま塩つけて漬ける、が一般的だと思う。
小倉では、胡瓜もナスと同じように、皮をまだらに包丁でむく、というのが、礼法のように「きまり」
になっているのだ。

「ぬかずの二発」というのは、遠い昔の花火のごとく、幻になった。
「糠の二段活用」に、これからの悦びをたくそう、と思う。
長野の妙高の「そばや」で、酒を所望すると「やたら」という郷土料理みたいな漬物がでてくる。
いろんな季節野菜の中に、胡瓜の古漬けが入っていて、酒肴に最高。
それを応用して、ポテサラをつくる時に、「胡瓜の古漬け」を刻んでいれると、マヨネーズの
量も減らせて、健康的なポテサラができあがる。だいたい、ハムとかソーセージなどを刻んで
つくる人が多いと思う。塩分ひかえめな「梅干し」を刻んで代用すると、究極のポテサラができあがる。

小倉のチェーン店でない居酒屋などにいくと「さばをぬかみそで炊いたっちゃ」(鯖の糠味噌煮)
がメニューにある。これで酒を飲んだら、小倉の街を千鳥足で歩くことになる。
味噌煮の味噌の代用に糠をつかっただけだけど、美味い。
気分は天国だが、こわいにいさんたちが跋扈する街なので、すれ違いに肩などぶつからないように
ご注意ください。彼らはすぐに「くらっそ~、きさん」とかいって、すごんでくる。

もひとつおまけ。釣ったタコをゆでだこにする時、最初から塩もみすると塩辛くなる。
「糠」でもむのがコツ。タコも秋によく釣れる。おでんにするには、昔から料理人たちは、
タコを大根でたたいた。「まないたのタコ?」 貴女の大根足でタコを踏んでも、そうはいかない。

能登は11月になると、冬はじまりの雷が家や大地を震わせる。
「雪起こし」といわれ、縄文人たちは、それと同時にブリがやってくることを知っていた。
だから「ブリ起こし」ともいう。ぶりは、五段活用・・・捨てるところのないお魚さん。感謝。