昨日は、上原英里さんのシャンソン、の予定だった。シンコロがまだおさまって
いないので中止にした。おもえば、3月のはじめの英里さんのシャンソンライブからこっち、
すべてライブを中止している。半年もライブをやっていないことになる。ネット配信が主流だけど、やっぱり
ライブも人と話をしたりするのも、「生」がいい。ビールは生より瓶がいいが。
そんなことをぼんやり思っていると、英里さんの応援団長のMさん(おかまのMくんではない。)が
ひょっこりひょうたん島よろしく、そばを手繰りにやってきた。「年に二度は、シャンソンを聴きながら
酒を飲みたいのと、マスターの誕生日を祝おうと思って・・」とのこと。ぼくと同じ昭和31年生まれで、
銀座で会社を経営している社長さん。独身。
坂の上の雲にでてくる秋山兄弟のあんちゃんが「わしの米は酒じゃ」というセリフそのもののような酒好き。
シャンソンを聴きながら、日本酒5合は軽く飲む。♪トラ トーラ 大寅 みたいなひとだ。
3月のシャンソンの時に、カウンターの後ろに飾ってあった、能登ジェラトン(隕石入りの陶器)の盃を
見て「これ買うから、これでのませて」という言葉にうなずき、現地調達の「まいぐいのみ飲み」
をしながらシャンソンを聴いていた。いつものように、5合を空けた時、「マスター、これで飲むと酔わない」
といいだした。
彼は毎朝、押上から電車にのって銀座のオフィスに通う。
10年前にガンの手術をしてから、一日二食にしたらしい。
朝を一汁一菜にして、具だくさんの味噌汁を中心に、野菜はトマト半分(あまり食べると血圧があがるらしい)
ごはん半合、香のもの(お漬物)。卵一個を溶いて、電子レンジ用の蓋つき調理器具にいれ、チンして「チンの卵焼き?」
夜はお酒が中心で、冬は毎日のように「小鍋」を酒肴にし、本を読みながら5合を独酌。隕石ぐいのみで晩酌しはじめた3月
からこっちは、酒量が一合か二合増えたらしい。
ここで、翌日のお米を炊く秘儀を教わった。日ずけ変更線あたりで、そろそろ盃を置こうと思ってから、
お米を研ぐ。ひとりぐらしで、ブリタとか浄水器を使うのは、面倒なので、3合炊きの電気釜の
釜にお米をいれ、東京水(水道)で直接洗い、適量の水をはり、そこに隕石ぐいのみに少し残した酒と盃を
入れて寝る、そうだ。そして朝5時過ぎに目覚めると、盃をとりだし、電気釜のスイッチを入れると、おいしいごはん
ができる、ということだ。いたって簡素だけど、彼らしい食事法。
ホンモノはみな簡素。そして自分流の流儀をもっている人は、話がおおむね「一人称」だ。
そこに「ぼくの友人が・・」とか「ぼくの知り合いが・・」とかいうブレがない。
半合とか5合とかいっていると、ふとこんなことばを思い出した。
「一斗二升五合」
昔、縄のれんなどがぶらさがっている飲み屋の壁などに、よくそんな短冊が飾ってあった。
一斗は、五升の倍「ご商売」 二升は、「ますます」 五合は一升の半分で「繁盛」とかけた縁起もの。
昭和のころ京都の小料理屋などで、小用にトイレの扉をあけると、「朝顔」といわれる男の立小便専用のトイレが
おいてあり、その横に「いつもきれいにつかってくれてありがとう」のかわりに、瀟洒な筆文字が飾ってあった。
急ぐとも 心静かに 手を添えて 外にこぼすな 松茸の露
松茸も、そんな風流な言葉も、絶滅危惧種のように露として消えていきそうな今日このごろ。感謝。