月曜の朝は卵かけごはん

昨日のオープニングは、予定どおり中村佳穂さんの「AINOU」を流した。
二階で気功整体の「満まめ」をやっていたので、少しボリュームを下げてかけた。
なかなかいい感じだ。

14年前にお店を始めた時、「ガレット」をメニューにいれたら、9割くらいのひとが「ガレット?」
という顔をしていた。男のひとは、ほぼ100パー知らなかった。若い女子は、7割くらい「あ ガレットあるんだ~  ボリボリ」
という感じやった。今では、9割くらいの人が普通にガレットを理解し、注文してくれる。
同じように(ちょっと違うか)、中村佳穂さんのことを、一般男子は知らないひとが多いけど、若いひと
たちには、かなり知名度がいきわっている、そんな感じがする。

昨日は、4時から中年のおっちゃんふたりが「蕎麦打ち教室」にきた。
「AINOU」を聴きながら蕎麦を打ってもろうた。ラップのように少しのりのりの曲もあるので、
いつもより体のキレがいいのか、時間もはやくうて、しなやかな蕎麦ができた。音楽の力
は大きい。シンコロ時代は、ライブができなくて、アーティストたちの活動が制限されている。
もとの状態には、もどらないかも知れないけど、「ライブ」がはやくできるようになるといい。
中村佳穂さんの「AINOU」は、音の響きも「生」の感じがする。彼女が大切にしているもの、が、見えてくるようなアルバムだ。

明日から9月。ぼくの還暦の誕生日からこっち、その日か前後に英里ちゃんがシャンソンのライブをやってくれる、
がならわしになっていた。残念ながら今年は中止になった。HPのスケジュールには、いろんな予定表がのっているけど、
夜の「寺子屋」は、9月もみな中止です。蕎麦打ちと珈琲塾はやります!金継ぎ教室も昼やってます。

これから「卵かけごはん」
この日は、厨房の中で、「ガレット」をまかないにしながら、朝ごはん。
今月からは、「そばピザ」と「無限シードル」が定番になった。
そばかす(そばを切った時の端のぶぶん)にはったいこをまぜ、少し醸して生地にする。
それをフライパンに薄めにながし、タマネギ、トマト、ピーマン、など季節の野菜をのせ、
とろけるチーズをたっぷりかけ、能登のトマトでつくったケチャップ(できたら、手作りに近いケッチャップがいい)
をかけ、中火で5分くらい。このみで、タバスコ類(天真庵では、長崎に移住した農家さんがつくってくれたもん)を
かけて、あつあつをほおばりながら、冷たいシードルを飲む。最高。

老兵は死なず ただ去りゆくのみ

昭和20年の本日、8月30日に、当時のアメリカの将軍だったマッカーサーが
厚木基地に降り立った。レイバンのサングラスにパイプ姿はあまりに有名。
75年になる。

それから5年後の1951年、アメリカ議会で軍人としての活動を引退する際 のスピーチで述べた言葉が
「老兵は死なず ただ去りゆくのみ」である。軍人らしく、出処進退がはっきりしていて
清い感じがいい。

今の政治家たちはどう?言葉では「出処進退」とか大きな声でしゃべったりするけど、
お金ばらまき議員夫婦や、投げ出し首相、その地位が金メダルみたいに欲しがる老獪議員、国民の命より「お金」や「名誉」に鼻息荒く
むらがる姿は、なんと評価していいのやら・・
もっとわれわれ国民ひとりひとりも「ちゃんとまじめに生きる」時代を迎えていると思う。ちゃんとしよう。

一昨日蕎麦を手繰りにきた女子は、お母様が広島出身なので、広島のお好み焼きと、やざわのえーちゃんが大好きで、
えーちゃんのBGMしかかけないラーメン屋の常連だったりする。
天真庵は中村佳穂さんの「AINOU」が、しばらくオープニングの音楽になりそうだ。「令和の歌姫!」でもあまりメジャーに
ならず、はんなりゆっくり、優美に広がってほしいな。歌もファッションも宇宙レベルのセンスがあると思う。

今日は日曜日なので16時まで。それから「蕎麦打ち教室」
二階は「満まめの会」

明日は月曜日
月曜日の朝は卵かけごはん
火曜日はそばピザの日(ウソ、でもなんだか評判になってきた)

ちいさなトマト

昨日も猛暑だった。
IT時代に、同じプロジェクトでがんばった仲間が、熊本から東京に出張の足で
蕎麦を手繰りにきてくれた。「友の遠方より来る。また楽しからずや」だ。
時間調整のため、スカイツリーを展望した、らしい。東京までの飛行機もガラガラ、
スカイツリーもがらがら、だと、くまもんのように目を丸くして、いいんしゃった。

東京に住んでいた時は、ワンルームマンションで、8万くらいやったらしい。
「熊本は3LDKで駐車場2台ついて、6万5千円です」とのこと。リモート等の環境
も整い、スマホなど通信環境も進化したので、彼は少人数のスタッフをかかえ、会社を
経営している。センスもあったけど、人間関係を大切にし、「足るを知る」という気持ちにあふれているので、
「ゆたかさ」を感じた。

今朝もモウレツに暑い。5時から蕎麦を打っていたら、雨?という音がした。
プランターの「小さなトマト」たちに、隣のおっちゃんが水をまいてくれていた。
「能登休み」の時に、お頼みもしないのに、毎日自分ちのプランターの水あげの時、
天真庵の植物たちの水かけをしてくれる。やはり「くまもん」(熊本生まれ)だ。
休みの間世話した植物たちが、いとおしいけん、という。うれしいかぎりだ。

「小さなトマト」で検索すると、内田ボブさんのライブの映像がでる。
たぶん、昨年までは、そんなことに関心のなかった人たちでも、「染みる」
歌だと思う。これからは、みんな「アーティスト」。ギターは弾けなくても、
歌は下手でも、人の歌を聴いて「感じる」のもアート。      

さっき、YouTubeで、聴いていたら、「次の動画」で、
「そして旅が終わったら」というのが案内され、聴いてみると、知っている顔
があった。二年ほど前に天真庵でサントゥールを演奏してくれたジミー宮下さん。
この人たちのまわりの人たちは、おもしろすぎる。未来へのメッセージがジンとくる。感謝。

五一ブランディーと一六タルト

もうすぐ秋だというのに、うだるような暑さが続く。
でも暑い日中に、エアコンもかけず、焙煎をするのは、至福の時。
誰のためにやる、というのではなく、自分らしく生きること、そのもの。
そばを打つのも、茶を入れるのも、花をいけたり、本を読んだりする
ことも、同一線上にある。
絵も書も陶芸も少しかじったりしたけど、才能は皆無に近く、「作品」となるにはに何十里も先な気がした。
でも、「自分らしく生きる」というのは、そのまま「芸術」ではないかしらん。何も美しいものを残す
ようなものはないけど、「らしく生きる」だけでいいか、とか勝手に思っている今日このごろ。

昨日、焙煎をしていたら、突然トビラが空き、おかまのMくんが手土産をもって、
「おかげさまで、新しい住まいがなんとかキープできたわ。今不動産屋にイチロクタルト
をもっていったのよ。ふたつ買ったので、ひとつはおすそわけ」といって、カステラ生地にあんこを
まいた一六タルトをもってきた。彼(彼女?)の母がたのルーツが愛媛なので、ときどきその愛媛の銘菓
を自慢しながら持参してくれる。そのまま久保さんの志野の銘々皿にのせ、焙煎したての「ほぼブラジル」を
飲みながら談論風発。

先日雨の中Mくんが、とある禅僧の揮毫した「天真」という掛け軸をもってきた。坊さんの字
にしては説教くささがなく、飄々としていていい。その掛け軸といっしょに「読んでみて」
ともってきた「無門関」を解説した本がおもしろく、毎夜に五一ブランディーのロックを
飲みながら読んでいる・・・・そんな話を、ときどき、おかま言葉に感染されそうになりながら、話した。

無門関に、こんなくだりがあった。

朝に晩に自由に飲んでいたお茶が一杯のお茶が、改まった茶席に坐ると、
もう無心に飲めなくなる。この有心、この「不自由」を知ってはじめて、
人間は人間になる。この即非こそ、否定を通してふたたび本当に「自由」に茶が
飲めるようになる。この肯定。そこが茶道だ。

*余談だけど、黄檗三筆に、隠元・木庵・即非、という三人の中国人の僧
があげられる。

猛暑の中で、そんなこと真剣に考えていたら、熱中症やシンコロの餌食になりそうだ。
残りのタルトをパクリとやって、パラダイス酵母のシードル飲みながら、ガラガラと
焙煎を再開。
ガラガラという音の先から声なき声が聞こえてきた。
「びょうじょうしんこれどう」(平常心是道)

めぐりあい

みんみんぜみ、や、くまぜみが鳴く暑い夏もすこしずつ終わりに近づき、
夜はこおろぎや鈴虫がすだくようになった。
朝の散歩も楽になった。わんちゃんたちも、こころなしか、うれしそうに散歩している。
お店の前の矢羽薄も、「そろそろ出番だ」という顔をしてきた。もうすぐ秋だ。

今日の真民さん

「めぐりあい」

大いなる一人のひととのめぐりあいが
わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとつながりを持つ親しい存在になった    真民

ユーカリとゆかり

月曜日の朝は「卵かけごはん」
この日は、朝からごはんとお味噌汁、いわゆる一汁一菜の準備をする。

お米を研ぐ。最初に入れる水を「東京水」(水道)にすると、その味がきめてになるので、
ブリタで漉した東京水で米を研ぐ。とぎ汁は、ペットボトルに入れ、適宜な塩と砂糖を入れて、
発酵させ、プランターや植木たちにあげる。
お米は玄米を家庭用の精米機で白米にし、米ぬかは、お店の前の街路樹のまわりにまく。
すると雀のバードウォッチングができるし、街路樹の土も、米ぬかや雀の排泄物で元気になる。
あまった米ぬかは、ぬか床にして、季節の野菜で「香のもの」ができる。実に、小宇宙の循環原理。
ごはんを炊く時、「うめ星」(隕石玉)を入れると、一味かわる。
天真庵では、「うめ星」とにがりを少々(3合だと、三回ミスト)して焚く。

二月の「味噌作り」も夏の「梅干し」つくりの時も、能登の珠洲の塩を使っている。
珠洲では「揚げ浜式」という古来から伝わる方法で塩をつくっている。政府がケミカルな
塩化ナトリウムをつくり、専売制にしてから、大半の塩屋が廃業した。その結果、日本人
の体も廃業をよきなくされる人が増え、振り子がふれるように、原点がえり、というか
「塩」が見直されている。私たちの命が海からうまれ、母親の羊水も海の精がやどっていて、みなそこで
命を育まれる。ただの水に塩化ナトリウムを入れたった、なんの命も宿りはしない。

能登の先端の珠洲に、小さな小屋で、こつこつと塩をつくっている匠じいちゃんと故意になり、
能登休みの時は、用事がなくても、ぶらりと遊びにいく。
6月には、前の海でとれた「あご」(トビウオ)を自分で捌いて、クーラーもない小屋で
炭火で焼いていた。汗だくになりながら「娘がラーメン屋をやっていて、このアゴとぼくの塩で汁をつくっているんよ」
と笑っていた。天真庵の「そば汁」も、このじいちゃんのアゴを隠し味に入れている。

先週も、じいちゃんのところに遊びにいった。天気がよかったので、梅干し用の大きなザルに、梅干し
用に使った紫蘇を天日干ししていた。「ゆかり」である。
目の前の海をくみ上げ、塩をつくり、その塩で梅干しをつくり、ミネラルたっぷりの海風の中で、ゆかりをつくる。
「ゆたか」以上のなにものでもない。珠洲ではさざえ漁も独特な方法がある。密漁が増えているので、教えられないけど、
「ほんものはみな簡素」の天地自然の理がそこにある。

十間橋通りに花屋がある。先々月そこで「ユーカリ」を買ってお店の前のプランターに植えた。
コアラの好物で、原産はオーストラリア。能登の家にももっていったけど、北国でも元気に育っている。
ユーカリの花言葉は「再生」。今の世の中に、一番ぴったりな言葉かもなんばん。感謝。

京都の豆腐がなぜうまいか・・・?

それは、観光客がいっぱい押し寄せ、「京都の豆腐がおいしい」というからではないか?
6年住んでいたけど、「うまい」と思うところにであったことがない。しかも、地下鉄工事
が始まり、水の味が変わってしまってからは、もっとひどくなっている気がする。

東京にきて、というより、墨田に天真庵を結んで、ときどき「豆源郷」の主人が蕎麦を手繰りにきてくれた。
石原?やったか?いつもてくてく歩いていくけど、ここの豆腐は美味い。ちゃんと京都で修行したらしいが、
「守破離」の破離が飛びぬけていて、「センス」を感じる。もちろんただならぬ努力をしている男やと思う。

豆腐もうまいけど、お揚げがまたうまい。それにも理由があって、利益よりも「味」優先なので、使う油
が、一般のソレとは、ベツモノなのだ。

今スーパーなどで売られている「豆腐」というものの中には、一丁に大豆が6粒・・・そんな
ものが堂々と並んでいる。「がんもどき」ではなく「とうふもどき」なのだ。
その大豆も、国産ではなく、遺伝子組み換えの大豆を輸入したものがほとんどだ。

凝固剤も昔は「にがり」が使われていたけど、最近は硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトン
が主流。京都の豆腐屋もほとんどが、残念ながら後者のふたつを使っている。

大豆を一晩つけて、ミキサーで粉砕し、土鍋でことこと煮ながら、静かににがりを打つ、
と寄席豆腐ができる。(それをふきんを敷いた容器にいれて、重しをすると、木綿豆腐ができる。
最近は近くのスーパーでも、いい豆乳が売っているので、もしも「にがり」が手に入る人は
冷たい豆乳500CCに液体にがりを10ccいれ、それを鍋で加熱したり、容器に入れてチンしても
「そんじょそこいらの豆腐」よりも、おいしい豆腐が家庭でできる。
子供たちと、いっしょに作っても、楽しいと思う。

にがり、は、そのほか、ごはんを炊く時、カレーや煮物をつくる時、みそ汁なんかに少しミストしても
「いい塩梅」になる。いいあんばいとは、母親の羊水の中と同じ塩加減。
命の源とつながるものだ。まさに「母親の味」の根源的なものだ。

湯豆腐や持薬の酒の一二杯 (久保田万太郎)

そんな風流な気分になれるのは、ちゃんとした国産大豆に「にがり」を打ってつくった豆腐だからこそだ。
ぜひ、この巣ごもり期間に体感してほしいものだ。感謝。「

世の中は、澄むと濁るの違いにて・・・

そんな調子のいい酒脱で即興的な遊びがある。

世の中は、澄むと濁るの違いにて・・・
ハケ(刷毛)に毛あり 禿に毛なし

昨日はうだるような暑さの中、焙煎をした。冷房をきかせた中でやると、
微妙な焼き加減、さまし加減の調整がむずかしい。ので、どんなに「危険な暑さ」
とラジオが叫んでも、窓をあけて「常温」の中でガラガラという音を手まわしの焙煎機で焼いておりまする。
そしてラジオに負けないくらい大きな声で「あ・つ・い~」とおらんだり、おらぼーごたる(おらびたくなる)気持ちでがんばっている。

夕方、界隈でシエアハウスを何軒が経営するだいきくん「株式会社 梅と庭いじりのじいさん」(そんな名前の会社の社長)
が、ふらっと遊びにきた。来月、界隈のカフェやアトリエやシェアハウスを使って、「芸術祭」をやることに
なったらしい。2007年に天真庵の建物を改装するとき、芸大出身の3名が中心になってやってくれた。
その縁で、3人のひとりが近所の長屋に住むようになり、改装中にであった子と結婚し、今は
子供と4人で、和歌山の最南端の街で暮らしている。ぼくのHPにリンクしている「田並劇場」
の人たち。だいきくんは、そんな流れで、うちの内装を手伝い、その後界隈に住むようになり、「BUNKAN」を改装したり、
「路地裏の不動さんや」みたいな仕事が成業になり、会社の社長になった。

最近、ボロボロの長屋を改装し、道場げな(のような)場所をつくった。明治通りの「旧邸」
というシェアハウスの隣。ニ双の立派な屏風が、ガラス越しに見える。かの「おかまのMくん」
所蔵の江戸時代の書家の揮毫したものだ。なかなかいい。

「そこで使えるなら、もっていって」といって、円座をもっていってもらった。
昔から、板張りの床や、囲炉裏の周りにおいて使ったまあるい座布団。わらで丸く編んでつくってある。
ついでに、近くの解体する家からいただいた掛け軸の中から、道場に似合うようなものを4本みつくろって渡した。
だいきくんは、原田先生の花も習い、福岡の星野村の茶会(原田先生が花をいけた)にもカメラマンとして列席したりしたので、新しい空間に、花が生けられるようになると思う。長屋やこの界隈に残る古民家には、花がよく似合う。お茶もよく似合う。だいきくんは、おじいちゃんが岐阜で茶畑をもっていて、そこの茶つみを毎年おこなったりする。
まだ若い(いまは40を超えおっさんか?)けど、質実剛健(ほめすぎ)なおっさん社長だ。ぼくのお茶のお弟子様でもある(あった)。

ハゲとハケほどではないけど、円座と縁座では、大違い。
「縁座」になると・・・重い犯罪について、犯罪人の 家族や家人までが罰せられる制度。奈良時代から行われ、特に江戸時代は武士に 対してきびしく適用された・・になる。
できたら、膝をつきあわせ、車座にすわって、こころあたたまる談論風発の友として「円座」を使いたいものだ。そんな「和気あいあい」な空間がこの街に残っていくことを望んでいる。感謝。

あさちゃんと打ち合わせ

今日は、朝5時半に起きて、お店の前の植物たちに水をあげる。その後、香取神社に詣でる。
休み中は、頼まくても隣のおっちゃんが毎日水をあげてくれるし、文庫ちゃんが
水甕にたまった雨水をまいて面倒を見てくれる。おふたりには、朝まで能登の家の近くの海に生きていた「さざえさん」
をお礼した。原始的ぶつぶつ交換。資本主義が終焉を迎えたら、「原始的ぶつぶつ交換」が主流になると思う。

10日前に、佐久平で仮眠した時は、22度だったけど、昨日は夕方5時過ぎに立ち寄ったら
30度あった。「これだと避暑地とはいえへんな」とひとりごとをいいながら、汗がTシャツを濡らす。
シンコロで世界がすっかり変わってしまったけど、異常気象も日常茶飯になってきた。
「50年に一度」が毎年になり、「記録的な〇〇」が頻繁に更新、上書きされる。
昨年の冬に妙高高原とか雪深いところに雪が降っていなかった。そのまま年を越し、シンコロで、梅雨は
日照時間が少なく、あけたら命の危険な猛暑。右を向いても、左を見ても、サバイバルな毎日。
人を蹴落としてまで、生き延びようなんて、思いたくなくないけど、政治家やその道の専門家とかいわれている人や、
学識経験者とかいう変な職業の人たちが、上から目線でおっしゃるような「画一的なハウツー生き方」ではないもの。
自分で考え、行動しながら切り開いていくような生き方をしていきたいものです。

今朝はあさちゃんと打ち合わせ。会社を昭和の終わりころ設立してからこっち、35年以上
「たつき」(会計)を「あさちゃん」にお願いしている。ぼくは27歳の時に会社をつくった。あさちゃんは、10歳
年上。もうじいちゃんといわれる年になった。そろそろ「あさじぃ」とよぼうかしらん。
あさちゃんは、ぼくのことを「社長」とよぶ。そろそろ「えーちゃん」と呼ばせようかしらん。
一応、会社は存続しているけど、これからは「会社」とか「社長」とかいう組織の世界ではなく、
それぞれの「個」の力が大切で、その人らしく生きている人は、みんな「アーティスト」のような世界
を歩んでいくのではなかろうかしらん。真・善・美が大事になってくると思う。みんな「この花さくやひめ」
花は咲かんでもいい。「生きる」という気持ちがあれば、花咲かじいさん、ばあさん。

その昔、会社の寿命が平均35年説というのがあった。平成のころはそれが10年未満になった。
きっと令和になり、これからシンコロ時代は、限りなく3年に近い?そんな感じだろうか?
もしかしたら、これまでの「経済学」や「経営学」や「貨幣経済」など、まったく役に立たない世界が、もうすでに
やってきているような気もする。でも会社がつぶれても、自治体がつぶれても、国がつぶれても、みんな生きていくのです。

あさちゃんが、ほぼぶらじるを飲みながら、会計ソフトの数字を見ながら首をひなりながらひとこと・・
「社長・・・3月から夜の勉強会やライブをやっていないんですか?」と聞くので、
「そうですよ」と答える。「能登では、なんか利益をあげることやっていますか?」
と聞くので「いえ、毎日タコを釣ったり、畑をやったりしてますが、お金は稼いでいませんよ」と答えた。
「え・・・!!それで、どうして、食べていくのですか?」と、真剣になるといつもそうするように
黒メガネのふちに手をあて、ワンオクターブ高い声で質問してきたので
「かすみを食べて生きていける方法を能登で身につけた」と答えた、ら、一瞬間をおいて
「ぼくには手におえない世界に到達している・・」とぶつぶついって
「今度能登に遊びにいかせてください」といい、かえっていかれた。十間橋通りを歩いて帰る後姿を
しばらく見送った。3回くらい、首を右に傾けていた。確かに、新しい時代というのは、とかく
わからないことばかりだ。ぼくも残った珈琲を飲みながら、首を右に傾けてみた。「これ」という答え
はないけど、なんか毎日いろいろなことに感謝しながら通っていけば、「なんとかなる」と思う。感謝。

鼠大根と猿梅

能登の梅を干し終え、今朝は紫蘇をとって、これから東京へもどる。

梅仕事が始まる年のとある春のおわりの佳き日。オカマのMくんが「これ読んでみて。とってもいい本だから
読んだら必ず返してね」といって、「百年の梅仕事」という本をもってきてくれた。三番叟(さんばそう)の猿
といっしょに「今年は申年ね。わたしたちが活躍する年(Mくんもぼくも申年つながり)
その日から何日かして、能登に移住した三輪福さんから「家の畑でとれました」といって、青梅が
一箱50kくらいが、突然訪れた。不思議なシンクロニシティーみたいだけど、昔から「猿年の梅はいい」
とわれる梅を漬けてから、梅林ガールズたちと「梅仕事」が続いている。その間に、こちらも能登に半分移住することになった。

今朝は、いつものように、海にタコを釣りにいったら、サザエをとる伝馬船が港にたくさんいたので、
シーバス釣りの竿に変え、港の隣の砂場の海に投げ入れた。今はまだ時期ではないけど、来月から
そのあたりで「ヒラメ」が釣れる。砂場といっても、底には岩場もあり、ドーバーソウルではないけど、
海の底に生育するヒラメやカレーを狙うには、ルアーが根がかりしやすいので、どこに岩があり、藻がしげっている、
とか、そんなことを確かめるようにリールをまいたりした。

帰りに、海の近くにある「腐りかけた空き家」の庭に生育している葉蘭(はらん)を、納屋にあった小さなスコップ
で掘って、「さつきの畑」のさつきの木の陰に植えた。
その家は、茅葺屋根で、葉蘭のほかにも、ツワブキや椿や、木賊(とくさ)、しゃがなど、茶花に使う植物が
主なき後も、季節ごとに元気な花を咲かせたりしている。きっと、お茶やお花をしっかり楽しまれたような家人が
住んでおられたのだろう。雨が少ないので、うまくつくかどうか不安だけど、大きく深呼吸して、お空の星と
さつきにお願いして、うめ星水をまいた。

畑には、小布施で昨年買って植えた「ねずみ辛味大根」の種を、二畝蒔いた。
これも、ほんとうは、来月あたりにまくのがいいと思う。昨年は、この種のほかに、「蕎麦用大根の種」
と「ゲキ辛大根の種」をまいたけど、結局「ねずみ・・」が一番、この土地にあいそうだし、
今年の干支が「ねずみ」なので、これまた星に願いを、で、うめ星水をまいて天にお願いしてみた。
「自然農」というのは、まこと、ほったらかし、というか、無為自然によりそいながら、おまかせする、
ような農法。近所の先輩農家さんたちに「そんな草ぼうぼうでは・・」とか、いろいろアドバイスを受けたり
するけど、タコ釣りといっしょで、「無手勝手流」だ。
植えた葉蘭を見て、筆子さんが「またお茶のお稽古でもするの?」と、質問するので、「花の教室をしようか、と思っとる」
と答えた。昔から池坊で葉蘭を5枚から奇数で7枚・9枚・・と竹筒にくばりという花どめをして生ける。
ぼくは、3枚ですかっと生けるのが好きだ。その生け方は「波乱万丈流」という。
ほんとうは、ひらめが釣れたら、「鮨フェス」をやろうか?なんて勝手に妄想して、その時は、久保さん
の黄瀬戸か志野の大皿に、その葉蘭を敷いて・・・なんてね・・・田舎暮らしは、夢や宝がいっぱいのほか、季語や話のタネも
いっぱい。すしのネタも近くの海にいっぱい泳いでいる。感謝。