といっても、休み中に、ネットなどで注文いただいた珈琲豆の出荷などが
あるので、昨日は朝から黙々と焙煎し、さながら「もくもくサロン」だった。
シンコロさんがまた広がっているので、12時から18時くらいまでボチボチやっておりまする。
能登の水曜日の朝、朝まずめは曇りで、潮の流れもよく、「絶対に釣れる」
という日だった。いつも、すずきやあいなめ、ひらめを狙う礒は、先客(あまさんが、さざえやあわびをとっていた)
がおられたので、タコやんという疑似餌をもって、徒歩10分の隣の港町に歩いていく。
漁師さんたちが、「そんなので、タコが釣れるんかね・・???」なんて、半分あざ笑いながら白い歯を
みせながらバカにする。先々月から、自分の家の前の海(前浜、という)、隣の海(浜田、という)は、タコやんを
ずる引きさせながら、「ここは砂地やな」とか「ここは海藻が多くて、ねがかりするな」とか、「ここはタコの高級マンション(必ず、空いてもうまる場所)やな」
とか、シミュレーションしているので、これから本格的なタコのシーズン、確かな自信のようなものがあった。
釣り始めて、5分後に、タコやんにたこが覆いかぶさり、ゲット。漁師のじいちゃんたちも「お~」と歓声をあげた。
そして、2分後に、もう一尾あがる。漁師さんたちが、寄ってきて、「この棹は・・」「この疑似餌は?」とか熱心に
聞かれる。彼らは、自分たちの先祖は九州人、だと信じている。海女やいろんな漁の文化は、九州の漁師や海賊さんたちがもってきた。
そのうち、「釣りキチ三平」あたりに、「能登のタコやん」みたいなマンガになってデビューするかもなんばん。
昨日は、そのタコを塩でていねいに処理し、ゆでだこにし、ガレットに入れて朝食。
あこがれの「タコがれ」(蛸ガレット)。シードルとの相性も抜群だった。
今朝は、新メニュー「そばやのピザ」の実験。
雲仙の蕎麦会で、ひさしぶりに手にいれた「和バスコ」をかけて食べる。
これは、超筆舌もんやね。本日から新しいメニュー(黒板にチョークで、「そばやのピザ」と書いただけ)
に登場・・・
この三か月、夜の寺子屋やライブが中止になって、たっぷり時間があって、本をいっぱい読んだり、
旅したり、畑仕事や梅仕事、釣りの種類も増えてきたり・・・・すっかり新しい人生を歩みはじめた感が強い。
お店の売り上げは、夜の部のほうが断然多いので、持続不可能?なような売り上げになってきたけど、
自分の体力が若返ってきたり、自給自足力や、サバイバル術がかなりアップしているので、
「なんとかなる」という確信じみたものが胎動している感じがする。
今のような不安でいっぱいな時代は、「自分に投資する」ことだと思う。
投資いっても、お金をかける、という意味ではないよ。自然の中で、ゆっくり深呼吸でもして、
こころを波だたせず、精妙な状態にもってくると、なにか聞こえない声が降りてきたりする。
そんな声に寄り添いながら生きていくことを、昔から「無為自然」といった。
特別な修行をせんかて、誰でも、そんな声が聞こえる、そんな時を迎えているんとちゃうかな。
「自分らしく生きる」。そこには、何の仕事して稼ぐ、とか、どこで何して、とかいう、余計なものは無用。
「ただ生きる」でいい。