日焼け止めを塗って、畑仕事をすると・・もてる?

この季節は「青梅雨」という言葉があるように、まわりに「緑」が多い。
田植え、夏野菜の種まき、畑の草むしり、松の手入れ、梅仕事・・・毎日のようにいろいろな「作業」がある。
近所のおばあちゃんが、「これ食べて」とじゃがいも20個、玉ねぎ20個、サニーレタス、筍を
もってきてくれた。能登暮らし5日目くらいになるけど、まだ一度も買い出しにいっていない。
おかえしに、珈琲豆と、珠洲でいただいてきたトマトジャムで、原始的ぶつぶつ交換。
冷蔵庫の中には、さざえ多数、めばる(ハチメ)2尾、するめいか5尾、津久志鮨の親父にもろうた「熟成させたオコゼ3尾、太刀魚半身」
などが入っている。みないただきもの。昨日の夜は、その津本式血抜き法とやらで、5日目くらいになるオコゼを、蛸引き包丁でさしみにして食べた。
ひらめと間違うくらい、歯ごたえと白身魚どくとくの甘みがある。寿司屋の隣にある数馬酒造の「竹葉」の純米がぐびぐびなきながら、嚥下していく。

今年はスルメイカがよくとれていて、それをたまねぎ、にんじんを刻んでパスタにした。もう一度、リセットして40代かそこらに
もどれたら、「パスタ屋」をやってみようかしら?、と思うくらい、うまいのができた。山海の珍味がこんなに日常茶飯の能登、
ならではの話と、自画自賛めいた、うぬぼれのなせるわざ、ではあるが・・

今朝、釣りをしようと海にいったら風が強く、踵をかえして畑にいき、草むしりをしたり、昨日植えたイチジクの木に水をあげたりした。
百姓の先輩のMからメール。「農業女子がいわく、日焼けどめ塗ると蠏に刺されます。」
いつも、彼とは一行のショートメール。同じ農作業をやっているので、阿吽の呼吸。でも蠏?
ガ、でも、カでも、アブでも、ブヨ・・でもない。
返事に「それなに?」とショートクエッション。すぐに「節足動物。ムカデなど、かに、と呼びます」とのこと。
畑のある小屋にムカデが歩いていたけど、そいつが「カニ」なんて、還暦過ぎた今まで知らなんだ。一時のハジ。

「さつきの畑」というその畑には、さつきがきれいに咲いた。その花を見るのが、大好きなおばあちゃんが、
その畑の隣の畑を耕していた。先々月に、いつものように手押し車で、近くの浜から急な坂をのぼって、畑仕事
をしている時、「このたまねぎを収穫したら、わたし、畑を引退する」とのこと。短い時間だったけど、畑仕事のこと、いろいろ教わった。
85歳。時節柄、ハグはできないので、ギュッと握手した。
「花のあとさき」という映画と、同じようなお話だった。「いつも、さつきの花を見るのが楽しみだったけど、
今年は見れんわ」と寂しそうにいったのが印象的だった。この集落は、日本のどの田舎もそうなように、限界集落
みたいなところ。なにせ、還暦過ぎたぼくが、一番若い(もちろん、筆子さんがいちばん)。
でも「順番」やし、歳とるというのは、敗北でもなければ、負い目に感じることでもない。

家に帰ってきて、「ほぼぶらじる」を入れ、玄関のいすに座って、本箱にあったヘルマン・ヘッセの本を
読んでいた。宗像の実家にあったので、たぶん高校時代に読んだ本だ。その時は「若いがわ」だったばってん、
今日は「年よりがわ」になって、珈琲がこぼれるくらい、頷きながら、人生の妙味を一杯の珈琲に感じた。
人生は後半がだんぜんおもしろくなりそうなメッセージ。蚊やカニや、なんの虫も寄ってこないようなおばあちゃんに
なっても、日焼け止めや、お化粧をして、おしゃれして、いつまでもさつきのような「色香」を持ち続けてほしいものだ。

「若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、私たちのぎこちない歩き方や、
白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことが
あったことを思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年をとってそのような年代を卒業し、
ちょっぴり賢くなり、辛抱強くなったと考えよう」

『人生は成熟するにつれて若くなる』(ヘッセ著)