ふくべ鍛冶

能登に、そんな名前の鍛冶屋さんがある。「ふくべ」とはひょうたん、のこと。
能登の漁師たちは、「マキリ」という道具を必ずもっている。
海で魚を釣り、〆る時に使うし、それで刺身までできる。しけでロープが
もつれたりしたら、それで切ることもできる。陸にあがれば、鉈かわりに
蔦のからまるチャペル、もとい樹木の蔦を切ったり、山菜をとったり・・・アウトドアの万能包丁。
能登に住む、と決めた時、ひとつ注文した。一年待ちだったけど、できた。魚釣りに行く時、トートバックの中に
忍ばせてある。古くから使われている「和鉄」をつかっていて、ものを切った時に「違いがわかる」のだ。

シンコロ影響で「百姓」を始めよう、という人が多くなった。
「のこぎり鎌」と「鍬(くわ)」と「スコップ」が三種の神器。新規の人も、
このみっつは必需品。ふくべ鍛冶には、男性用、女性用があり、また鍬の刃の形状も、
二種類あって、輪島を境にして、丸い刃と平たい刃がある。
人生の途中から百姓を始める人には、「一生もの」なので、できたら、こだわって、
納得のいくものを手に入れるといい。「ふくべ」までいって買うもよい。
女性の場合は「長靴」もお忘れなく。原宿で買う必要はない。日用雑貨のお店で、
お似合いのものを買ってほしい。

今朝はやく、百姓の先輩のMくんからメール。
「能登で梅仕事、草むしりがんばってください。草のまわりは虫や微生物、小宇宙ですね。
蟻と人一緒に感じます」とのこと。
そのとおりなので「蟻がとう!感謝☆」と返信した。トウモロコシの収穫時期なので、毎朝3時
くらいに起きて野良仕事をしているらしい。IT企業の社長だった時と、別人のように元気になられた。

「アナスタシヤ」(ロシアの本)7巻を読んだ。
7巻目に、ロシヤの刑務所で、囚人たちが、ひとり1ヘクタールの土地を与えられ、そこに
独房と、畑、フルーツの木を植える話がでてくる。
アナスタシアを囚人たちは読んでいて、どこでもやるような木工ではなく、大地と対話しながら、
楽園を築いていく、そんなお話。絵空事のような話だけど、老後にいくらあっても足りないような不安の中で
人生をおくっていくよりも、大事なことだと思う。畑を耕さないで終わる人生を「不耕の人生」という。
ある囚人が、種のことを語るところがある。

「種は絶対水に浸けてはいけません。特に塩素の含まれる水や一度沸かした水などの、必須バクテリア
がすべて殺されてしまった水に浸けてはいけないのです。自分自身の唾液に種が浸かるようにして、自分の
情報を十分に与えなければいけません。人間の口の中、つまり唾液中の人体特有の温度である36度によって、
種は9分後に休眠から目を覚まし、すべきことを理解します。誰のために実をつけるべきなのか。
もしその人に何かで腫物や具合の悪いところがあれば、種は正常に戻させるような実をならせようと頑張るのです」

世界中がとまって、東京も空気がきれいになり、鳥の声もよく聞こえるようになった。
みんな自然によりそうような、本来人間が生きてきたような生活にもどろうとしている。
畑を耕し、種や苗木を植え、もしくはまわりに、フルーツの若木を植え、四季折々の旬を楽しむ。
罪を犯し、なにももたずに収容された囚人が悟るまでもなく、物質的なゆたかさではない、
本来もっている内面の「ゆたかさ」みたいなものに、気づきはじめたみたいだ。

「花のあとさき」のムツばあさんが、落ち葉を拾って土をつくってるシーンが泣ける。
他府県をまたいで、移動するのもOK牧場になったけど、まず銀座のシネスイッチ銀座(和光のうら 煉瓦亭の通り)
で、この映画を見てほしい。
8月には「もったいないキッチン」も放映される。今日の天声人語に「もったいない」の話がでていた。
「おもてなし」「もったいない」・・・きょうびの政治家よろしく、美しい言葉を一言いって印象つける風潮があるけど、
有名無実というか、中身がともなっていないものが「おーい にっぽん」だ。