関東も梅雨入りし、蒸し暑い毎日。
今月は、梅仕事をしに、能登へいく。梅雨の一雨ごとに、梅は元気にたわわの実をつける。
諸説あって、梅の木は大陸からきた。とか、梅干しは韓国人が紀州に伝えたのが始まり・・とか?
能登の梅林にいき、毎年剪定したり、雑草をとったり、梅を収穫していると、これまでの自分の中の
常識とは次元の違った「声」みたいなもんが聞こえてくる。
梅林のいある瑞穂(みずほ)という、国始まりのような土地で、今年は稲作りも始まった。
陶器や芸術の源流は、確かに「大陸」から渡来したのが、「歴史」になっているけど、有史前に、
ひょっとしたら、宇宙から真脇の縄文人たちに伝えれられた?そんな気もしてくる。まったく根拠のない話だけど・・
水曜日は、「水出し珈琲」の実験。毎年梅雨入りしたころから始める。少し焙煎を深くしたり、
水出し珈琲のガラスの調整をしたりする。
14年前、開店したころ十間橋通りに、車がとまった。伊丹なんやら、みたいなアイドル歌手みたいな顔したボンが
「おれ・・押上三丁目でガラスをやっている・・・この通りで成功した人はいないけど、ばんばって・・ボリボリ」いって
自作の醤油差しをくれた。年は同じ31年申。
しばらくして、スカイツリーができることになり、般若くんに「水出し珈琲の台を、スカイツリーみたいな形につくって」
と頼み、ガラスの部分を、伊丹くんに頼んだ。しばらく使っていると、水を調整するコックのところが、水のミネラルとか塩分で
固くなったり、微妙に傷ついたりして、水の出方が違ってくる。
これまで二度ほど調整してもらった。3度目を頼みにいったら、朝から忙しそうに工房でガラスをつくっていた。
夏の煎茶用の急須を6年くらい前に、10個ほどつくってもらった。それの発展形を特許庁にだし、こんな不況の中でも
全国の茶人たちが愛用しているらしい。「注残が200個以上ある」と、汗だくの顔をふきながらのたまう。ガラス職人の工房は、サウナのごとし。
水出しの調整の話をすると、「ちょっとまって、スリヤを直接紹介するから・・」とのこと。「スリヤ?」
話の流れから、ガラスを擦る職人のことをそういうのか、と、察しがついたが、63年生きてきて、はじめてきく職業だ。
ふたりで、四方山話をしながら、押上小学校近くのスリヤさんちへいく。
ガラス職人とスリヤが、阿吽の呼吸で話をすると、「わかった」とひとこと。
次の日の朝、「できた」とスリヤさんから電話。ランニングシャツが制服のような汗だくの職人さんから、受け取って
お店へもどり、今年はじめての水出し珈琲用の焙煎をし、こちらも負けないくらい汗だくになり、夏用の珈琲が始まった。
合羽橋の珈琲器具専門店にいくと、安価で水出し珈琲の器具を売っている。
でも、縁ある人たちが、協力しながらつくっていく道具には、道にふさわしい「魂」みたいなものが具わっている。「道具」
とはそんなものだと思う。