人は一度 死なねばならぬ

うらぶれた十間橋通りが、自粛期間は人も車も通らず、ゴーストタウンみたいな
感じだった。自粛が解除されて、少し活気がもどって、もとの「うらぶれた」レベルにはもどって
きた感じはある。6月までは、7時までだった営業を6時に短縮し、7時からやっていた「寺子屋」
や「ライブ」を中止しているので、本を読む時間、酒を飲む時間、音楽を聴く時間が増えて、体も楽である。

この界隈に住んでいる人たちも、引き続き、テレワークで自宅で仕事をしている人も多く、息抜きをかねて
蕎麦を手繰りにこられたり、珈琲を飲みにこられる人もポツポツ増えてきたように思う。
Zoomなんかを使っても「話す」ことはできるけど、PCやスマホに向かってしゃべるのと、現実に
むきあってしゃべるのは、まったく違う話のようだ。
昔、町役場とかに「あなたの声を聞かせてください」というポスターが張られていたことがある。
それを見たおばあちゃんがポスターに向かって「あ~~~・・・」と声をあげた、そんな話を彷彿させる。

自宅で仕事や学習をするのがあたり前になると、都心のオフィスや、学校の存在意義がかわってくる。
これからますます出張なんていうものが少なるなるだろう。つきつめていくと、「都会に住む」という
ことも「?」と思う人が多くなりそうだ。戦後、それまでのあらゆる「常識」が覆された。
天皇は神様であったのが、人になり、神風が吹くと信じていた神域の民は、みな露頭に迷い、
教科書に書かれているものは、墨が塗られ、何を信じていいかと、途方に暮れた。
そんな時は、人は、自分の内なる神の声を聞きながら、自然にもどっていくようだ。
潜在的な失業者が増えているようだし、これまでそんな人たちの受け皿であった飲食業会も、閉店ラッシュの
憂き目を迎えている。連日交通機関の「人身事故」が多くなってきた。このままだと阿鼻叫喚のような世界になりそうだ。
人は黙っていても100%死ぬ。自分で自然にさからって、死ぬことはないと思う。

今日の「真民さん」

「一度」

人は一度
死なねばならぬ
日は一度
沈まねばならぬ
光は一度
闇にならねばならぬ

これが宇宙の教えだ
このことがわかれば
大概のことはわかる   真民