毎朝、朝まずめ(お日様が顔をだすころ)に、タコ釣りをする。
今日は朝から☔なので、5時から「アナスタシヤ」の残りの二冊を読んでいる。
本来の人間の暮らし(婚礼)のことが記述されていた。結婚をきめたふたりが、森の中に暮らし、
その地でどのような楽園を築いていくのかを「創造」していく2年のことがかかれてある。
その2年はエッチはしないそうだ。愛し合う魂を磨き、両親からもらった生き方の智慧(季節の花を
植え、ハチミツをとったり、人生フルーツよろしく、リンゴやみかんや栗などの木を植えたり・・)
多種多様な植物を配置することに費やす・・・そんな話が書いてある。
やっぱこれからは「人生フルーツ」とか「農」やね。
昨日は珠洲の「ジャム屋」さんにいってきた。定年を迎えた夫婦が、珠洲に移り住み、
おとうさんは陶芸家、お母さんはジャムをつくっている。季節季節に近所のフルーツつくりの
名人のおじいちゃんおばあちゃんが、ガラガラのような荷物入れにいっぱい成果物を入れて
その家にやってくる。能登の「人生フルーツ」のような暮らし。
その前に、「揚げ浜方式」で昔ながらの塩をつくっている名人じいさんのところへ。
昔はどこの地でも、とてつもなく面倒なことをやって塩をつくっていた。政府がお金ほしさに
「専売公社」なるものをつくって、ケミカルな塩化ナトリウムを「塩」として家庭におしつけたので、
昔ながらの塩つくりは耐え、あげくのはてに日本人の体は、へんな塩ずけにされ、バカのひとつおぼえ
のように、ついに「減塩だ」なんてことを吹聴していった。ホンモノの塩は、ミネラルがたっぷりあり、
海のエナルギーに満ちていて、味噌作りや梅干しつくりの時に使うと、「違い」が体中の細胞から聞こえてくる。
それから、「縄文真脇遺跡」に。縁あって、そこに建っている縄文の家の柱の穴、は、自分たちが
その当時の石の斧をつかって掘った。昨日書いたけど、縄文人たちは、藤の花が咲くころ、
イルカがくることを知っていて、歴史の教科書などによるのと違う暮らしがあった、ように思う。
能登で暮らしていると、衣食住が、自然によりそった智慧、に満たされていて、都会での生活を
反省させられること多しだ。
その後、能登町の「津久志鮨」で食べる。さかなくん、や、そのまわりのスタッフが
くるようになった縁で、主人が「神経じめ」とか「血ぬき」に工夫をかさね、
一ランク上の鮨の世界にあがった感じになったきた。津本式の血抜きはすごい。手抜きちゃう!YouTubeで「津本式 血抜き」見てみて!
主人の「離婚祝い」におくった久保さんの「牡丹餅の備前の長皿」にのった季節の魚たちが
オーラをはなっていた。ふたりで1500円(地魚のすし10貫 天然のりのお吸い物 )
金沢や東京から「わざわざ」の人も増えてきたらしい。来月は梅林ガールズたちと打ち上げする場所。
その帰り、ホームセンターにて「すいかの苗」を買って、さつきの畑に植えた。
夏が楽しみ・・・