5月の能登はあちらこちらで、霧島ツツジが咲き乱れている。
北前船で、鹿児島からこの地に運んだ風流人がいて、能登にその名を冠して根付いた。
里山では、藤の花が、杉や、松や、あて(ヒバ)の木をハグするかのごとく、咲き乱れている。
今朝は隣の浜まで釣りにいき、帰る途中に一枝、釣り用の包丁で切って、床の間の「掛花」(かけはな・・軸の横にぶらさげて、
季節の花一輪を投げ入れる器のこと。器に入れる花のことをさす場合もある。久保さんの焼き締めをぶらさげている)
先月いただいた枇杷の木の横に咲いていた。枇杷さんにも「ありがとう」と声をかけた。
能登では縄文時代から、人が住んでいた。真脇(まわき)遺跡というのが珠洲の近くにある。歴史の教科書では、
縄文人は狩猟をしながらあちこち移動しながら生きた、という定説を裏切る証拠が最近発見された。
彼らは、藤の花が咲くころ、対馬海流にのってイルカがやってくる、のを知っていて、それを捕獲し、
イシルのような魚醤をつくって保存し、家族の命を紡いだために、その地に長いこと定住していた、のだ。
昨日は浜で毎日あう漁師さんが、ハチメを6匹もってきてくれた。「いつも、季節はずれのタコばかりねらって
いる旦那さんを見かねて、もってきた」という声が厨房で聞こえた。
この5日間で、20匹くらいハチメのお裾分けがあった。さすが毎朝塩焼きにしたり、煮付けにしても二人では
食べきれない。魚のお礼に「ほぼぶらじる」をあげた。まるでこの浜の貨幣のように「ほぼくらじる」
が原始的ぶつぶつ交換に大活躍している。
今日は外道(げどう・・・食べるにあたいしない魚)が一匹釣れただけだ。
秋には、「蛸釣り名人」になっているだろう。オリンピックで買った「タコ焼き器」
は今回は使うことなく終わりそうだ。
今回は、「いつかこの能登へ遊びにくる子供たち」に、タコ釣りと、タコガレット(タコ焼き器で)
を伝えようという使命でタコだけねらっている。余命三か月・・・なんていわれる日も近い年ごろに
なったけど、そうなっても、一本の木を植えたり、何かを次の世代に残したいと思っている。
まるで、「人類を愛することは簡単だけど、隣人を愛することは難しい」型の人間みたいだけど、
そのあたりに「信条」らしきものが見え隠れしていてもいいのではないか、と思っている。勝手だけど・・
今日はこれから珠洲へ。お客さんから「ジャムとケッチャップ」の依頼があったので、いってくる。
そこの主人は珠洲焼の陶工で、先々月、窯場につかった「珪藻土のレンガ」をくれた。それが珈琲
の焙煎にすこぶるいいのだ。縄文人から紡がれるDNAとつながったような気分で毎日焙煎している。
そんなホボブラジルファンからメールがきて、「燕京亭の餃子をはじめて食べた」とのこと。
「こんど、亀戸餃子を・・」なんて、いつも食べることばかり考えている。感謝。