千利の言葉。「あるがまま」のこころを今に伝える。
朝、百姓の師匠からショートメール。
「大根、スイカ、はちゃんと種をとっておいて、未来の命とつなげてください」とのこと。
市販されている「種」は、いつのまにか、いろいろな種と交配され、遺伝子が組み替えられ
たりして、一代限りの「エフワン種」というのが幅をきかせている。在来種がすべていいわけでは
ないが、その土地にあったものが、その土地で元気に生きようとし、子供の種、孫の種まで
しっかり受け継ぐと、その土地にあった「命」がそこで育ってくる、らしい。
午後、石岡の「暮らしの実験室 やさと農場」から、元気な野菜と卵が届いた。
今回は「そら豆」が豊作だったようで、いっぱいおくられてきた。
さっそく、なべにお湯をわかし、皮をむいて、入れる。湯上り美人のような豆を
口でほうばりながら飲むビールのうまいこと。半分は、梅肉とあえて食べよう・・
といつもは思う。でも今年はなんだか「梅おろしそば」が大人気で、来月の能登梅の
収穫までは、自家用に使う余裕がなくなったので、がまん、にあいなった。
でも新鮮な野菜は、「野にあるように」に限りなく近い状態で食べるほうがよろし。
今朝の朝日新聞の一面、天声人語の上のコラム「折々のことば」
に、辰巳芳子さんの言葉が紹介されていた。
「三つ葉は生でも食べられる。三つ葉は生でも・・・」と、おまじない
にように唱えながら、塩を入れ熱湯で茹でます。(お肴(さかな)春秋)
花と同じように、自然の中でどうやって生きていたか、にふれると、おのずから
「野にあるように」に近づいてくる。花も野菜も同じだ。さすが辰巳先生、千利休と同じレベルだ。
夕方、能登の三輪福さんからメール。羽の付け根にケガをしたトンビが、庭に降りてきた、
とのこと。どのような手当をしたらいいか・・・という質問。
今月お邪魔した時、「ごま油に百足(むかで)を漬けていた」。昔から田舎ではそうやって
「田舎の赤チン」みたいなんをつくっていた。
たぶん、それを傷にぬって、まわりの田圃のおたまじゃくし(もうカエルになったか?)とか、ミミズ
や、魚肉を食べさせてやると元気になって、また能登の里山にもどれるのではなかろうか。
傷ついて、いく病院もないトンビが、梅茶翁を訪ねてくる、ものがたり、が素敵だ。
茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ 利休
今日は日曜日なので16時閉店。二階は「満まめの会」 16時からは「蕎麦打ち教室」
明日の朝は「卵かけごはん」 暮らしの実験室の卵を卵かけごはんにすると、野にあるような滋味がする。感謝。