能登 三日目

昨日までの二日間は、北陸特有の「曇り」でなまりのような雲がたちこめ、
雨も降っていた。演歌を口ずさみたくなるような天気。それでも海を散歩し、
近くの酒屋にいって「能登ワイン」を調達しながら、おっちゃんと談論風発。
世界中のヒトもモノが動かなくなって、世界的に株価が急落し、原油価格も
下がっている。月曜日の高速道路もガラガラやった。志賀町でエネオスでガソリンを入れたら
1リットル135円。少し安くなった。金沢の市場も、和倉温泉も、人がこんようになっている。
今は世界中の人が「ほんとうの自分を見つめる時」か。

能登の冬の海は荒い。荒波も凍えるような景色を見ながら瞑想をする。
◎・・・梅干しと梅干しの種を連想してほしい。核の小さな〇の中が「自己」。本来の自分で
あり、「真我」ともいう。生まれたままの自分、本来の自分、つまり「天真」。
その外側の大きな〇の中に「自我」とか、もろもろの我欲が散りばめられている。
深い呼吸をし、自然の波動によりそうようにしていると、真ん中の「天真」と
会話ができるようになる。瞑想の不思議。宣伝っぽいけど、うちの
「うめ星」(宇宙の隕石粉と地球の土をこねて穴窯で焼いて丸くしたもの)を枕の下
にタオルでまいて寝て、横になったまま瞑想をする時、この◎をイメージしながら呼吸を整える、
と、眠りが深くなり、ストレスがとれる。これは「自分」だけのことではなく、きっと
まわりの人まで「愛」をおわけする力が湧き、まわりの人も幸せになる。

近くの輪島には、総持寺(元がつく)がある。座禅の聖地。
「坐る」という字は、土の上に、人がふたりすわっている。これも「自己」と「自我」
坐ることにより、ふたつの自分と対話している姿を現している。
東京から能登にもどってくると、そんな「瞑想」とか「座禅」をするのが日常茶飯
の中に組み込まれ、自分を取り戻す、自然にかえる、そんな気分になる。
傍らの古箪笥の上に大学ノートが置いてある。東京にいる時は、ほとんど沸いてこない「詩こころ」
みたいなんが、自噴してくることがあるので、その折々にエンピツでそんなカケラを綴ったり・・
そしてなにより、「茶」がうまい。今回は「うめ星」の土で、宝瓶(ほうひん)を久保さんに作ってもらい、
それを能登の家にもちこんで、星の村の「玉露」を入れた。この天の露のような甘露な茶味を、
どう伝えようか、筆舌が及ばぬ宇宙世界のまんだらである。感謝。

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