今日で押上天真庵13年。明日から14年目・・

2007年の4月1日に押上の天真庵を結んだ。
今日でまるまる13年。明日から14年目を迎える。

昨日のお昼、近くで警備員の仕事をしている方が制服をきて、そばを手繰りにこられた。
「志村けんさんが亡くなったね」を教えてもらう。津軽なまりで警備員の仕事について
あれこれ教えてもろうた。今月はじめまでは浅草の場外馬券所で警備をやっていた。
コロナで競馬場が閉鎖され、馬は走るけど、観客はなし、馬券はスマホで買うことだけOK牧場になり、
場外馬券場も閉鎖になり、そこで警備の仕事をしていた22人がお役目ごめんになった、ということだ。
コロナにかかったという人は、まだまわりにいないけど、仕事を失った人や、収入がOに近づいたひとは
いっぱいいる。このまま長引けば、中小零細企業や個人事業主のみならず、大手企業も苦戦を強いられる。

外出自粛の影響で、どこの飲食店の経営も青色吐息になってきた。もともとうらぶれたシャッター通り
の「十間橋商店街」。3月は人の通りも、車の通りも、ますます少なくなってきた。
界隈にはお年寄りが多いので、救急車の数だけ、増えてきた感じはあるけど。。
うちは、月に何度かライブをやっている。大阪のライブハウスで感染があったあたりから、
「ライブハウス」というのは聞こえがよくない。君子危うきに近づかず・・で集客が
危ぶまれ、3月も4月のライブも中止になった。
「夜の外出も自粛」ムードがあるので、いろいろな寺子屋(勉強会)も3月4月はお休みになった。
そろそろ霞を喰って生きていこうか、なんてこと思っている。うちは蕎麦粉があるので、それを毎日喰って
いくと即身成仏になる、というのも悪くない(昔の坊様はそうやって仏様になった)。
死を恐れても仕方ない。こうゆう有事の時は、テレビやスマホの電源を切って「情報断食」
をするのもいいかもなんばん。

予定を書いたホワイトボードの余白の白が目立ってきた。「4月は能登で暮らすか?」
と筆子さんにいったら、「12日の満まめがいっぱい予約が入っているので、それまでは休めない」
とのこと。気功整体で、気を整え、免疫力を高める・・・すごく大事なことだ。
人生、いいときもあれば悪いときもある。だからおもしろい。
「天真庵も苦戦してるに違いない」と思ってくれるファンの人が、いつもよりはやいペースで
珈琲豆を買いにきてくれたり、そばを手繰りにきてくれたりするおかげで、リーマンショックの時も、
大震災の時も、シンコロの今も、なんとか「持続可能」で13年間が経過した。感謝。

今日の「真民さまのことば」  元気が自噴してきそうな詩。

「わたしの詩」

わたしの詩は
生きるために苦しみ
生きるために泣き
生きるためにさげすまれ
はずかしめられても
なお生きようとする
そういう人たちに
ささげる
わたしの願いの
かたまりであり
湧き水である

ひきこもりライフ

いつもは、うらぶれた十間橋通り。いつも以上にうらぶれた週末で、「終末?」
を彷彿させるような人気(ひとけ)のなさだった。
満まめ(気功整体)と「ゆるゆるヨガ」は、元気な人、これから元気を伝えていきたいと思って
いる人たちが予定どおりきて、にぎやかな感じになった。
どんな職業であれ、子供からおとなまで、「これから」が不安で予測もつかない明日におびえている。
でもみんな「死ぬまでいきられる」から大丈夫。なるようにしかならない、この世界。

スカイツリーも閉鎖され、銀座や渋谷などいつもはにぎやかな街も、ガラガラだったみたい。
そろそろニューヨークや欧米の主要都市のように、東京でも「ロックダウン」が近づいてきた気配。
みんなとまって、「ひきこもりライフ」を経験しそうだ。
食料は、生のものは冷蔵庫の収納具合によるので、「買いだめ」をしても無駄になることがありそうだ。
コンビニやスーパーは営業するだろうから、3日ぶんもあれば大丈夫じゃない。
水は東京水が蛇口をひねるとでてくるので、買いだめする必要なし。
お米が近くのスーパーからなくなっている。二年くらい前からお米よりパンの消費が多くなったのに
不思議な現象。「日本人にもどれ」と神様の声がした・・?

昨日はヨガをやったけど、「ヨガマット」があるといろいろ便利。時間がたっぷりある子供
たちと、ヨガや深い呼吸法をやったりできる。煎茶では「茶具敷」(ちゃぐしき)といって、
古布に煎茶道具を並べて茶を楽しむ。その変わりになりそうだ。
ロックダウンの先に、もし「明日で地球がロックダウン」みたいな日がきたとしても、
家族で一期一会のお茶を飲み、「ありがとうございました」といって、実相の世界に旅立つのに
役に立ちどうだ。急須のない家、が多いらしいけど、「日本人にもどれ」という声が聞こえたら、
ひとつ用意しておくといい。京都や金沢なんかに暮した人は詳しいけど、全国には素敵な「和菓子」
がいっぱいある。アマゾンでカップ麺などを注文するついでに、京都の「おひがし」とか「金平糖」
などを頼むのも一考だ。

ぼくは休みの日は、都内の古本屋を徘徊する。「いずれ暇になったら読もう」と思って、たまった本が
いっぱいあるけど、テレワークだけでは運動不足になるので、近くの古本屋まで、徒歩もしくは
ジョギイングでいくのもいいだろう。この際、中止になった東京マラソンや東京オリンピックの選手に
なった気持ちで、一万円くらいはたいて、ジョギングシューズを新調するのもいい。
ママチャリからスポーツタイプの自転車に変えたくらい「走り」が違ってくる。

東京では大手に努めるサラリーマンが多くいらっしゃる。派遣から解雇されていくけど、このまま
世界がとまってしまうと、大手といえど安穏としていられない。公務員もしかり。
「百姓入門」の準備も必要になってくる。「ものはかたちから」という輩は、ゴルフ道具をメルカリで
売って、郊外のコメリかなんかで鍬に変えるのも「いい手」だ。
通販はしていないかもしれないけど、能登の「ふくべ鍛冶」にいくと、男女別にセミオーダのような鍬や鋤
が買える。まさに「日本人にかえる」

一月に大分であった家族が奏でる「カナタ」というアルバムをずっとお店で流している。
満まめの時、ヨガの時もBGMとして聴いている。音楽もダウンロードして「ただ」で聴ける
ものになったけど、ほんとうにいい音楽は、お金をだしてCDで聴いたり、ライブにいって
応援してほしいと思う。「お互いが楽しむ」「共生」という世界は、これからもっと大事になってくるよね。
4月から、世界がガラッと変わる。もう変わってしまった。「モノやお金」から「目に見えないゆたかさ」に
シフトするんじゃない。ずっと「こころの時代がくる」といわれて久しいけど、やっとそうなるかもなんばん。

家で珈琲やお茶を飲むことも多くなりそうだ。自販機で♪昔アラブの国の王様が・・・ちゃちゃんちゃんちゃん・・
みたいに、スイッチを入れたら、豆を挽き、ポタポタと自動で入れてくれる珈琲メーカーみたいなんで入れてる
人が多い思うけど、ここは「マスター」になったつもりで、手動のミルで豆を挽き、一杯一杯家族のぶんまで入れる
スタイルに変えるチャンス。男子厨房に入り、「男料理を磨く」という時間もたっぷりできそうだ。
かっぱ橋が閉まる前に一度、包丁やをのぞいてみるもよし。こないだまでは包丁やのお客の9割が外人さんやった。
ステンレスで研ぐ必要のない包丁や文化包丁はやめて、手作りの包丁と砥石を買う。それだけでも「料理人」に
なった気分になる。近くのスーパーで、まるごと一尾の魚を調達し、台所で捌いて、家族に「今日は鯛をさしみにした」
なんてことになると、持っている株よりも、株があがるに違いない。

これから「卵かけごはん」
日本人にもどるの原点は「一汁一菜」
ごはん・味噌汁・お漬物・・・・・お米と味噌と梅干し(お漬物)があれば、当分なんとななるよ。心配ご無用!

今日は日曜なので16時閉店 満まめ ゆるゆるヨガ 蕎麦打ち教室

昨日の東京は戒厳令のごとく、だった。
朝いつものように香取神社にお参りした後、オリンピックに・・長蛇の列だったので、
一瞬で「やめた」。
天真庵でも「もち麦」とか「能登の棚田米(今・売り切れ」とか「黒豆茶」や「麦茶」
能登ジャム、媛もち麦の甘酒、梅干し、能登揚げ浜式の塩、もちろん珈琲豆やそばを
テイクアウトできるので、昨日は、そんな商品もいっぱいでた。
なんだか知らないけど、「うめ星」(隕石入り玉)や「勾玉」(これも隕石グッズ)や久保さんの新作の「隕石粉でつくったおちょこ」
なども売れた。へんな店だ、とお客さんがいう前に自分でいう(笑)

基本的に「そば」を千葉の農家さんに頼んでいるし、薬味の大根や柚子胡椒も自分らでつくっているし、
醤油は松本の醤油やさんに頼み、珈琲豆も商社に「生豆」を
頼んで、自家焙煎しているので、オリンピックで買うものは、リンゴジュースとかちょっとしたものだ。
お米は、能登の棚田米を玄米のまま買って、そのまま東京にもってきて、その都度精米機で精米し、
できた糠は、店の前に遊びにくる雀にあげたり、ぬか床にしたり、能登にもっていって、畑に蒔いたり
、コンポストトイレに入れたりして、大活躍している。

最近IT時代の友達に不思議な酵母をいただき、それをリンゴジュースで培養して「無限シードル」
をつくって、飲んでいる。どぶろくのようなもんだ。ガレットにシードルというのは、めちゃくちゃ相性が
いいコンビだけど、お店でだすと、すこし法に抵触しかねないので、自分たちで飲んだり、気のおけない
仲間におすそわけしたりしている。昔から、菌のことを「悪玉」とか「善玉」とかにわけるのが
人間の性みたいなところがあるけど、人も同じで「使いよう」やと思う。

最近よくあべちゃんが「コロナに打ち勝ったあかしの完全なオリンピック」なんていうアジテーションを
する。「菌に打ち勝つ?」・・・どうもピンとこない。勝ったり負けたりする次元ではないと思う。
この星で、生きとし生けるもの、動物・鳥・虫・魚・鉱物・石・草木・もろもろの菌・・・
みんな同じ「命」と「波動」をもって、共生して共存して生かされているのだ。
そして、それぞれが固有の波動をもっていて、そのバランスが壊れた時に、いろいろな病気になる。
病気かて、「悪い」と勝手に決めつけるようなもんではない。そこで体を休めたり、こころみつめてみると、
いろいろな「気づき」があったりする。今は、地球そのものの「生命体」に、何かメッセージが降りいるようなとき。

いろんな病気があるけど、医者ちゃうけど、いえることは・・
生命力とか気力が低下する、一般的に免疫力が低下した時に、罹病するのだと思う。
だから反対に、それらが向上するように、「食育」とか「住育」とかをまじめに考えていけばいいのとちゃうかいな。
今日やる「満まめ」(気功整体)とか「ゆるゆるヨガ」なんかに、そのあたりのヒントがいっぱいつまっている。
今月はじめで今年のぶんは終わったけど、「味噌作り」は最高の食育。
お米を買い占める、のも勝手やけど、自分で味噌をつくり、梅干しをつくり、梅酢で野菜をつけもんにする・・
そんな昔から日本人がしてきた暮らしにもどすことも必要なんじゃないかしらん。

そんなわけで、今日は日曜なので16時まで、二階は「満まめ」16時から「蕎麦打ち教室」19時から「ゆるゆるヨガ」

明日の朝は「卵かけごはん」

アクの強いフキで、毒を消す

♪もうすでに 春ですね~

のはずだが、今日から首都圏は外出自粛になるし、
卒業式や入学式や入社式・・・門出の春のイベントものきなみ中止で、
「別れの3月」も「出会いの4月」も、季語がなくなった感がある。
近くにこの春コンピュータの専門学校ができる。先日、そこの先生3人
が蕎麦を手繰りにこられた。

その一人(常連さん)が「ここはこれから学生たちのアジトになりますよ」
といって笑った。なんとなく大学紛争時代のレトロな言葉。
今NHKFMからボブデュランの曲が流れている。シンコロで来日が中止になったけど、用意されていた
ようだ。まるで「トリビュート」な感じ。ピーターバルカンさんの番組。

♪君とよくこの店にきたもんだ・・・片隅で聴いていたボブデュラン・・
ガロの「学生街の喫茶店」。お金もないのに、とりあえず知り合いの顔を見かけると
「お茶飲もうか?」といって、わけもなく、たわいのない話をしながら、シケモクしながら
だべっていた。でもみんな楽しそうにしてたね。「夢」を語れる時代やったんやろね・・・

シンコロさんのおかげで、世界中がとまって瞑想している。
オリンピックも延期。冷静によく考えてみると、「アマチュアスポーツの祭典」
なんていう大義名分とは、程遠いモノで、利権や企業のオカネの臭いがプンプンと
あぶりだされるような今日このごろ。原発といっしょで、みんな「やめる」方向にしたら・・と思う。
令和になったけど、その前の「平成」というのは、いろいろなものや旧態依然も体性が壊れて、
大掃除されて「平たく成る」という時代であったはずだけど、「令和」になって、そんなことが
顕著になるみたい。「ガラガラポンになる」というのが、はじまったような気がする。

「ゆずり葉」。新しい命が発芽するときには、古いモノは自ら「ゆずって」
若き命にエールをおくる植物。そんな縁起で、正月の鏡餅にみかんの下に飾られてきた・・・ゾンビみたいな森
が、はばをきかせるオリンピックの森では大輪の花が咲きそうにない。どうゆずっても花さか爺さんには見えへん。やっぱゾンビや。

昨日は福岡の妹から「フキ」と「お米」がおくられてきた。
さっそくフキの皮をはぎ、3センチくらいに切って、水でさらし、
そばのかえしで煮て「ふき煮」をつくってみた。春の香りに包まれた。
冬眠をおえて眠りからさめた熊が、最初に口にするのが、フキノトウなどの春の山菜。
「毒消し」になるらしい。

明日は「満まめ」と「蕎麦打ち」と「ヨガ」をやる。
全部予約が入っているけど、「自粛」される方は、遠慮なくどうぞ。
おひとりおひとりが、大きな試練の時。右にいくか左にいくか、決める春だ。

今日の「真民さま」

「試練」

試練は
鞭ではない
愛なのだ
慈悲なのだ

常識というは堪忍 春眠し

まだまわりにシンコロに感染した人はいないけど、首都圏も
不急不要な外出は自粛しなさい、という事態になってきた。
昨日は近くのオリンピックにいったら、買い物客でごったがえしていて、
無限シードルのリンゴジュースを買い物かごにいれた段階で、「や~めた」
と思い、棚にもどして帰って仕込みをしていた。

キリマンジャロを焙煎していたら、「包丁かしてください」といって、おかま
のMくんが入ってきた。台湾の知り合いからパイナップルのケーキをもらったらしい。
「ときどきもらうけど、ちゃんと一個一個にわかれているよ」といったら、
Mくんが封をあけ「あ~らほんと。な~んだ。じゃ二個あげるわ」というので、珈琲を飲みながら
談論風発・・

カウンターの「うめ星の実験」を見ながら・・・
「もうこの部屋全体がいい気につつまれているので、うめ星が入ったのと、
入ってないのとあまり差がなくなったわね。」といった。そして
「これ、波動共鳴というのよ。コロナから人類を救うのも、この波動共鳴しかないわね」という。
といって、病気と波動の話を音楽の「音叉(おんさ)」の共鳴を例にだして説明をした。
相変わらず、ただのおかまではない。

この星に住む、虫や鳥や魚や人間、石や草木や鉱物もそれぞれ特有の波動をもっていて、
わたくしたちの内臓もまた特有の波動をもっているらしい。そして、体力や免疫力が低下すると
その部分の波動に異常がでる。だから東洋医学では、気のルートの「経絡」にいい気を波動共鳴
させて、治癒するのだ・・・簡単にいうとそんなことらしい話を理路整然として、帰っていった。

シンコロのおかげで世界中の人やモノがとまった。みんな「こしかた いくすえ」をまじめに考え
始めた。恐怖や不安でいっぱいだおうけど、こんな時こそ、「ウキウキ」するようなことをしよう。
ここんところ、ぼくも朝の瞑想の時間をちゃんととって、トイレの真民さんの言葉を
縁ある愛すべき人をイメージして、こころで「おもい」をおくっている。これも波動共鳴か。
そんな小さな「あい」が、少しづつ波紋のように広がると、あっという間に世界は「あい」で
包まれるような気がする。

今日の「真民さん」

「六魚庵箴言」

貧しくとも
心はつねに
高貴であれ

一輪の花にも
季節の心を知り

一片の雲にも
無辺の詩を抱き

一椀の米にも
苦労の恩を思い

一塊の土にも
大地の愛を感じよう

本日は書の会 明日はおんなかっぽれ

シンコロさんのおかげで世界中で、渡航が禁止になったり、外出が禁止になったり、ライブハウスや
飲食店が営業自粛になったり、在宅勤務や在宅を余儀なくされたりするような毎日。
世界が「とまっている」状態。

昨日はヨガの聖者が、チャリンコにのって元気にそばを手繰りにこられた。
森鴎外の「寒山拾得」の短編の中に、🐯虎にのって街を歩く老僧の話がでてくる。
豊干禅師(ぶかん)。今話題の武漢と、おなじことだま。
昔から禅林は「寒山拾得」の絵を好んで描いた。それに豊干禅師と虎を入れて
4人(3人と一頭)が寄り添って寝ている構図もよく描かれた。「四睡図」という。
「世の中で一番幸せな家族」を現わしている。
先週のある日の朝、いつものように香取神社にお参りし、オリンピック(中止や延期で騒いでいるのではなく、スーパー)
にいく途中、常連さんが犬と、子供ふたりと散歩しているところに遭遇した。
「これも四睡図みたいなもんやな」と思わず笑顔になった。学校にいけなくなって家にいる。みんなストレス
だろうが、あらためて「家族のありかた」などを見直すいい機会でもある。

豊干禅師(彼のことを、これから勝手にそう呼ぼう)いわく、
「瞑想の最高の姿は、とまる、ことです」といって長い顎ひげに手をかけ笑った。
サムシンググレートや神のはからいで、シンコロさんがこの星にやってきて、
わらわれ地球の人間たちに「瞑想」という反省を促しているんだ。
個人といわず、家族といわず、政党といわず、国家といわず・・
みんな「おれが、おれが」で現生の利益を得ようとがりがり亡者のような生き方に警鐘を鳴らして
くれたのかもしれない。
悟り、というか「空」にいたる前に、人は恐れと不安でいっぱいになる。今まさに世界中の人が、「悟りの前」
で瞑想(ある人は迷走)しているのかもなんばん。

今日の「真民さま」 そんなぼくたちに強いメッセージの言葉だ。

「あとから来る者のために」

あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を 川を 海を
きれいにしておくのだ

ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ

月曜の朝は卵かけごはん

昨日も14時過ぎに蕎麦が売り切れになった。
表には行列が・・・
ひといきついた時に、常連さんが珈琲豆を買いにきてくれた。
やっと常連さんと日常会話ができた・・そんな気分の珈琲時間。

4時は蕎麦打ち教室。Kさんもだいぶ「そばもん」になってきた。
少し花粉症持ちなので「無限シードル」をおすそわけ。

さて、何を食べようか?(そばがあまったり、勉強会の時は、メニューが花火のように浮かんでくるけど
自分たちだけの食事の時は、まったくノーアイデアの時が多い。もっともぼくは湯豆腐と漬物と3合の酒があればOK牧場だが)
と思っていたら、近所の和菓子の名店「ながしま」の女将さんから電話、「忙しくて食事の準備が大変だろう、と、おばあちゃん
が天麩羅をあげました」とのこと。下町人情の残る稀有な十間橋通り。あつあつの天ぷらをつまみに、能登の「竹葉」を飲む。
五臓六腑に慈悲深い味が染み渡る。こんな「ふれあい」があるので、人生やめられない。
全世界が「ひと」とか「国」との距離感を考えたり、「自分以外はみな敵」のような人間模様が
広がりはじめたシンコロ現象。そんな人間の根源的な「我欲」に神が警鐘を鳴らしている「はからい」が見えない輩が跋扈する星・・。

今日の夜の「順受の会」は、高齢者も多いので「中止」 うらぶれた下町の商店街の片隅にもシンコロの影響がありまする。明日の「書」
はやります。水曜日の「おんなかっぽれ」は、やります。
「卵かけごはん」はもうすぐはじまりなする。

今日の「真民さん」

「七字のうた」

よわねをはくな
くよくよするな
なきごというな
うしろをむくな

ひとつをねがい
ひとつをしとげ
はなをさかせよ
よいみをむすべ

すずめはすずめ
さつきはさつき
まつにまつかぜ
ばらにばらのか

日曜は「蕎麦打ち教室」のため、16時閉店!

昨日も行列ができて、14時に蕎麦がなくなった。

わざわざ並んでまで食べるような蕎麦ではない、と思う。
世界で一番おいしい蕎麦は「自分で打った蕎麦」であ~る。
毎週日曜日は16時で閉店して、蕎麦打ち教室をやっている。
さいしょは、ほうとうかきしめんみたいな蕎麦ができるけど、手塩にかけて
汗かいて打った蕎麦は「世界一」だと思う。

昨日はさっそく、久保さんの新しい酒器が、ふたつ嫁いでいった。
これから外食をひかえ、「家飲み」の人が多くなりそう。
毎晩の晩酌の「ゆたかさ」が、宇宙のまんだらのようにひろがっていく器。
自分で打ったそばや、そばがきを酒肴に、新しい時代の先端みたいな「酒器」で
時代をかけぬけていく・・・いいと思うな・・

今日の「真民」さん

「かなしみはいつも」

かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えてる幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも耐えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない

タンポポ

近くの桜もホボ満開になってきた。
路傍には、タンポポの花も咲いている。地味であまり存在感
がないけど、葉が上に元気に咲いているのをみると、信楽の一輪挿しに
投げ入れることがある。春を謳歌しているバレリーナのような風情がある。
手でもぐと水揚げが悪くなるので、根っこから抜いて、はさみでスパッと切る。

昨日は朝からバンバン打ったそばが、2時で終わった。ここん
ところ一回KO負け?のような感じ。遠くからこられる方がいるので、「売り切れ終い」ではなく
その後は「ガレットやさん」になる。ぼく的には「そばがきぜんざい」なんか美味い、と思う(笑)
でもそのオーダーが立て続けにはいると、ぼくの顔が(笑っていない・らしい)。久保さんの志野の合鹿碗(ごうろくあん)
のような器に入れてだす。
今朝も朝まずめから蕎麦を元気に打った・・
なにもかも空っぽになったので、少しはやめにお店を閉め、燕京亭で
餃子と上海やきそばを食べたながら紹興酒を飲む。この店をでて、左手に「たこやきや」、
右手にセブンという交差点の風景がいい。そのふたつのお店は最近できたし、その先にこの春
専門学校が開校する。14年くらい前に、この風景を見ながら「この街に住もうか」と思った、そんな場所。

帰ってきて、久保さんの新作のうめ星酒器で「米鶴」を飲んだ。
キリっとした切れが、ますます研ぎ須磨れるような感じがする。
「巣ごもり」で、家飲みスタイルが主流になりつつあるけど、「器」
は、気に入った酒器をつかってほしいと思う。
この隕石の酒器を使うと「まずい酒もうまくなり うまい酒はもっとうまくなる」。
お昼に「あご酒」をその酒器で3合飲んだ女子がいた。

今日の真民カレンダー

「綿毛のように」

タンポポの綿毛のように
柔らかい愛をもって
お互いが生きてゆく
それは何と素晴らしく
美しいことであろうか
そう思い
わたしはかがみこんで
道のべの
タンポポの綿毛を
じっと見つめていた

能登検定?宝達志水町・・・たからたつ しみずまち?ブー

東京から能登にいく時、いつもは和倉温泉の「総湯」に入ってから家へ、
というパターンが多い。
今回はシンコロ騒ぎもあり、家の近くの温泉に入った。ガラガラだった。
人気の「じんのびの湯」も、珠洲の「のとじ荘」もいつもより、というかガラガラだった。
さすがに能登は、外国人は少ないけど、日本人も「巣ごもり状態」になっているので、
観光業や飲食業は、大きなダメージだ。

東京にもどる道すがら、いつものように羽咋(はくい  これも読みにくし)の
コスモアイル羽咋に立ち寄った。UFOで町おこしをしたとこ。やはり観光客が
あまりきていないみたい。👽こんな宇宙人のうちわと隕石などを買ってきた。
うちわは、内輪で使うのもなんなんで、表のショールームに飾った。
裏には「私 こう見えても 宇宙人なんです」と書いてある。そうしか見えないけど。。

羽咋には気多大社(けたたいしゃ)があり、春の訪れを祝うお祭りがあるのだが、
「完全な形」をやめて、縮小してやったみたい。オリンピックもお祭りみたいなもんやから、
大所高所から冷静に見て、どうするかしないとアカンやろね。

羽咋のとなり、やはり能登半島の付け根みたいなところに、宝達志水町がある(ほうだつしみずちょう、という)。町内には能登地方の最高峰である宝達山(標高637メートル)を 有する。スカイツリーより3m高い!住みやすい場所なので、古墳群がある。
「宝達清水 古墳の湯」で検索すると、素敵な温泉があったので、立ち寄ってみた。露天風呂から古墳が見える。
温泉の最高な気分は「生きているのか 死んでいるのか この世なのかあの世なのか の判断がつかぬ境地」だと思う。
間違いなく、そのような気分になれる温泉。420円。銭湯より安い!桜はすこし早かったけど、来週あたり見ごろかもなんばん。

東京の桜も開花したけど、こころなしか寂しそう。
桜は、美人の膝枕の上から見るのが一番、というのが昔からの定説

せくなあせるな 世間のことは しばし美人の膝枕

今日から「通常営業」

本日の真民カレンダー

「今」

大切なのは 
かつてでもなく
これからでもない
一呼吸
一呼吸の
今である