「月曜日の朝は卵かけごはん」
311の年に、「なんとなく みんな朝ごはんをちゃんとしてないな」と思い、始めた。
共働きで子育て中の家では、朝ごはんはお米よりパンのところが多くなっている。
何か月も腐らないようなパンを、自分たちの体に入れるとどうなるか?とは想像するだけでゾッと
するけど、現実の生活スタイルの時間割だと「ごはん」というのが入る余地がないみたいだ。
ゆえに、「味噌汁」が朝の食卓にあがることが少ないみたいだ。味噌汁は「飲む点滴」。
現実は忙しいママの天敵?
独身の人たちも、会社でも家でもPCやスマホの第三世界に没頭していて、深夜遅くまでおきておられるのか、
朝めしを喰う時間があったら眠っていたいし、電車の中でも眠るかスマホをやっている人が多い。
こないだまで「就活」に忙しく、今は「婚活」を考え、気がつけば「終活」・・・
日本人は「まじめ?」なのか、なにかと「活」をいれたがる。
髪の毛、は深夜の12時から3時くらいにつくられる、そうだ。その時間に起きている人は「はげる」確率が増える。
男女関係なく、うすくなったりする人が増えている。食べ物と生活スタイルが大きく影響しているのは、「毛をみるよりも明らか」だ。
「家に急須がない」というのが日常茶飯になっているらしい。コンビニにいくと、日本茶や棒棒茶や各地のお茶どころのお茶
までペットボトルに入っている。パン食とお茶もあわへんよね。
急須のない家の台所には「ひね茶」(賞味期限がきれたいただきものの茶など)がきっとあると思う。
それを「ほうろく」(急須のない家にはないな)、なければフライパンで炒る。香ばしい茶の香りと煙を出し続け、
茶色くなった時点で火を消す。部屋中が茶の焙煎臭でつつまれ、なんともいえないアロマ効果がある。
昔の人は、その「ほうじ茶」に梅干しを入れて毎朝飲んでいた。「医者いらず」といわれた。血圧に悩む人にはおすすめ。
昨日から味噌作りが始まった。今年は「ペレットストーブ」の上にも鍋を置き、新戦力になっている。
毎日これから3・4人づつ手前味噌をつくりにこられる。今年も100人くらいの人が参加する。「菌活の会」
味噌汁をつくる時間もない人も、「年に一度がんばれば、菌が醸してくれて、おいしい味噌ができる」と
やってくる。昨日は昨年から押上小学校一年生の子供をもつお母さんふたりがおんなの子供たちといっしょにやってきた。
その子供さんがおなかの中にいるくらいからうちの常連さんたち。味噌をいっしょにつくった後も体力があまった女子たちは、
柱の「ポール」をのぼる、がコロナウィルスのように流行している。ひとりの子がスルスルと天井に届くくらいにのぼる。
もうひとりの子は、負けじと挑戦するが、引力のほうが上手で上にいかない。片づけをしている母親に「靴と靴下ぬがせて」
と半泣きでいう。母親の答えが「ズボンを脱いでパンツみせながらのぼりなさい!」。普通の「生活」にも「活」と「喝」が生きている。
今日の夜は「順受の会」。25年続く論語の会。先生も生徒も還暦を過ぎ、長老は78歳。これだけ続いて
いるのも軌跡だが、みな鬼籍も近い。今年は「伝習録」。漢字や書とともに論語や陽明学など「漢籍」が
日本人にいろんな思想を育んできた功績ははかり知れない。一方で「論語読みの論語知らず」もあまたあまた、だ。
ぼくは「典座」のようにこの会の時は厨房の中で「食事担当」。段取りがいい時は、老師のように酒を飲みながら
「老子」を読んだりしている。老子の「道」(タオ)は、読めば読むほどエロスの曼荼羅宇宙。
能登の家の「お客さんの間」(といっても、雑魚寝しているが)には、白井晟一先生の「道」が飾ってある。
今晩は「順受の会」
明日が「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」
夜が伝習録を勉強する「順受の会」
火曜日が「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」