今回の九州の高千穂近くのA神社はまさに「いわくら」のような場所だった。
道が狭いのと、落石ごろごろの険しい山道は、人や車を拒む、そんな厳かな雰囲気
に包まれているけど、一生のうちに一度はいってみてもいいかも。
高天原から神様が、天孫降臨しておいでになった場所が「高千穂」。私たちの先祖は
神様になっていて、九州にはあちこちに「神話」が残っている。それから五ヶ瀬川を下り、
日向(ひゅうが)、つまり「日の国に向かう」という地名で、伊勢神宮や奈良や京都を
つくっていった。国東(きにさき)半島には、奈良に匹敵するくらいお寺や石仏や祈りの場所が
点在するけど、あまり「日本の歴史」などに紹介されていない。歴史とは、時の権力者が
都合よくねつ造していった歴史である、ことがその地を巡るとわかる。
そこのあるお寺の坊さんが、蕎麦打ちを始めたと聞いたので、車でいってみたら、
不思議な女性と出会い、2時間後には、彼女の住む森の中の家で「ほぼぶらじる」を
飲みながら談論風発していた。東京から29年前に移住し、食物もお米・麦・大豆をつくり、
家族で古楽器をつくり、ときどきその森(カテリーナの森)でコンサート。食べ物も音楽も「自給自足」であり、「地産地消」だ。
昨日の「ダメ中」は、多士済々の女子たちが集まって、皮から餃子をつくる会。「カナタ」という
カテリーナの森の妖精たち作ったようなCDを聴きながら、餃子の会。
アーティストが多い。何人かは映像関係者で、「このCDのジャケットは川村倫子さんじゃない」
といった。木村伊兵衛写真賞を取って、世界的に活躍する写真家である。いったOも日本人なら
誰でも知っているアーティストであるが・・・
そのこのこは、今年7歳になる双子の女子で、北欧の友人ふたりも誘ってくれて、昨日は
総勢13人の「餃子パーティー」。持ち寄りの酒も、日本酒・紹興酒・シャンパン・・などのチャンポン。
いつもの会も「女子風呂の中にいるようだ」けど、昨日は会話の80%が英語で、「ダメ中」より「ダメ英(しかし、みんな英語が達者)」
という雰囲気だった。川村さんも昨日のメンバーも、40代後半のバリバリ世代。令和も女時(めどき)だ。
瀬戸内寂聴さんの本を最近読んだ。文壇の人たちの「男と女」の話。イラストが横尾忠則さん。
寂聴という名前をつけた「今東光」さんの話や、松本清張、水上勉、川端康成・・・女流では、宇野千代さん(寂聴さんが質問して
千代さんが「あの男は寝た。」「寝ない」とか返答する。ほとんど「寝た」(笑う)。相手の男も作家など文人の名前がでて、
世間では「男が浮名を流した風」になっているけど、よくよく考えてみると、女性が喰って、ネタにしてるのではないかしらん。
松本清張記念館で、往年の編集者たちのインタビューや、松本清張さんの本の映画やテレビになった映像があまたあった。
編集者たちもいろいろ「寝た」とか噂になったり、女優さんちとの艶冶な話も数々あれど、みな短い娑婆での酒脱な一コマのようだ。
この世は男と女がいて、陰陽のバランスを保ちながら成り立っている。「谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)と謂(い )う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う」・・・生命の源・女陰やセックスのことを、老子さまが語った有名な言葉。男女とも
自身の中に「アニマ」(男性)と「アニムス」(女性)がある、とユングさんはいった。でも男には「玄牝の門」(女陰)はない。ゆえに女性には、勝てない。
「宇宙的なおとなの交わり」と夜中に声がした。
万物は流動し、ふれあっている。
それゆえ、すべては悦びに満ちている。
性(セックス)は、生命がつくりあげたものではない。
性を静かに見つめれば 自分の道がわかる。人の根源は性である。
性を極めれば宇宙に到達する。魂とつながる。
宇宙の根源もすなわち「性」なのだ・・・・・老子さまもまた女性の股から生まれ出て、尽きることのない至福な宇宙を逍遥した。
会が盛り上がったころ、まいこ先生が「名古屋に戻ります」といってみなに挨拶した。彼女は名古屋の
そばの女将さん(3年前に電撃結婚)でもある。彼女と昔からの親友であるOが
「まいこ、いつからそんなつまらない普通のおんなになったんだ」と叫んだ。
男の世界にはない「刮目」(かつもく)がある。ぼくはいつも三助(お風呂で背中を流す係)でもなったつもりで、不思議な女風呂を静かに体感しながらひとり
酒の友をさせてもらっている。中国4000年の歴史は、スゴイ。
明日から「味噌作り」が始まる。明日の夜は「ゆるゆるヨガ」だ。