白鳥は悲しからずや 海の青 空の青にも 染まず漂う。 福岡出身の北原白秋のうた。
孤独ではなく、孤高な感じがして好きだ。日本で初めて唱歌をレコード化する時、時の文部省が
白秋先生にお願いした。「先生(シェンシェイ・・福岡弁)、歌にのせるけんが、語尾を削ったり、変更する可能性がありますが、どげんですか?」と
打診すると、「わしの詩は、一語一言に魂がこもってるけん、そげなこつしたら、腹かく(腹立てる)バイ」
といって断られた。困った文部省は、あきらめて西条八十先生に頼んだ。
八十先生は「いいよ、なんぼでも変えてあわせてあげる」という融通無碍な返事をした。
そうして「カナリア」が日本はじめての唱歌のレコードになったらしい。
その後、青い山脈、蘇州夜曲、同期の桜、王将など、唱歌から演歌、軍歌まで幅広い世界で作詞をされた。
先日、味噌作りの人たちに、いっせいにメールをした。「今年やりますか?」「大豆の種類・麹の種類」「何キロやりますか?」
100人以上の人から、ぞくぞくと返事がくるので、筆子さんはその集計やスケジュール作りに躍起な日々。
ラインなんかを駆使して、便利な時代になったけど、なんかその便利さに振り回されている感も否めない。
この季節、そのメールの返事を兼ねて、距離に関係なくお店に新年の挨拶にこられる人もあまたおられる。
昨日は「群馬」と「金沢文庫」から毎年味噌つくりにくる人が、わざわざこられた。
群馬の人は、正確には埼玉で、ご主人が5年前から群馬の里山にセルフビルドで「終の棲家」を
つくっておられる。もちろん、基礎や屋根や水回りは業者に頼んで、壁とか床とかをDIYでこつこつ作ってておられ、
やっと完成した、とのこと。狩猟の免許を採り、罠をしかけたらイノシシがかかった、とのこと。
はじめてのことなので、とどめをさすのに躊躇して、鉄砲の弾を3発使ったらしい。急所に命中できなくて
悲鳴をあげるイノシシの声を断末魔のように感じたらしい。猟友会など、各地にあるけれど、みな高齢化のため、
「技」がうまく伝承されていくのを拒んでいるようだ。これからそんな「技」が大事になってくる。
明治政府が、徴兵と徴税のために、山に住む人たちを都会に住まわす作戦をたて、人は都会で過ごす
ようになった。その延長が「東京一極集中」の今のかたち。一度便利な暮らしを手にいれると、田舎暮らし、
自然とよりそう暮らしに戻すのは、きわめて難しい。これからの日本に一番大切なところが、あやうい。
「金沢文庫」の夫婦はぼくらの子供みたいな世代。ふたりの結婚の保証人をさせてもろうたり、三々九度の会を
親戚あつまってした会も、二階で「普茶料理」をしながらやった。「NUSUMIGUI」というファッションのブランドで
大活躍されている。今年は能登でいっしょにキャンプする予定だ。その業界は不況も真っ只中だけど、彼らは
「ファッション」という定義を、服だけでなく、キャンプや釣りをしたり、「生き方」「暮らし方」そのものを提案していて、
若者のこころをつかんでいるようだ。いっしょにきた「OSAKENTARO」も、今日から近くの長屋スタジオでイベント。
彼らは全国区で活躍中。
まだまだ子育て最中のママさん、孫の世話でてんやわんやのおばあちゃんたちも、日程や材料の打ち合わせに
こられる。夜は「英語でそば会」やった。その前にヨーロッパから留学されている若い女性ふたりがそばを
手繰りにこられた。「海外のウェブに天真庵が紹介されていて、今そばにはまっているので江戸川区からきました」
と流暢な日本語でのたまわれていた。英語の先生家族も毎年味噌作りに家族で参加される。みんな家族や。
みんなこの大都会の中で、白鳥に負けないくらい、子育てやら親の介護をしながら、生き暮らしている。
ぼくらも自分たちの子供はいないけど、子供や孫たちが、名前も覚えられぬくらい増えてきた感じがする。
そのうち、今日食べたものもわすれ、常連さんに「はじめまして」といったり、改札にパスモのつもりで
診察券などをかざすような日が、すぐそこにきているような気もする。そんな忙しさにかまけて昨日はメールの
返事もだしそこねた。
今朝、山村暮鳥の詩を思い出した。明治生まれの詩人。「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」
というイメージのペンネーム。童話作家でもあった。
よくよくみると
その眼の中には
黄金(きん)の小さな阿弥陀様が
ちらちらうつっているようだ
玲子よ
さつきよ
おとうちゃんと呼んでくれるか
自分は恥じる
*子供の天真にふれながら、親として居ずまいを糺したり、子供の未来
を夢みながら、もろもろな問題にもがいている。でもひたむきに前に進んでいる「親」の姿勢が素晴らしい。
人生は今今今・・・・の数珠つなぎ。 人と人との数珠つなぎ。 感謝合掌。