中東が火だねになって、第三次世界大戦になる恐れがある。
今年の冬は暖冬で、しかもペレットストーブがあるので、炭を
あまり使わない。二階で「普茶料理」をする時は、京都の樽源の豆腐桶を
使って湯豆腐をするので、その時には必ず炭を使うけど。
ペレットは、東京にはあまり売っていないので、長野のペレット工場に200k
頼んで在庫してある。炭は、旅の途中で炭焼きをしている場所を見つけると、そこに
立ち寄って買ったりする。材料の「木」によって、香りやエナルギーが違っていて、
なかなか奥深いものがある。お茶にも「炭点前」というのがあり、置き方によって
火力や持続時間が変わったりしておもしろい。
まだ炭はいっぱいあるけど、油の値段が高騰しそうだから、いつも買うお店にメールを
したら、「売り切れ」だった。まさか令和のこの時代に「同じような生活」をしている人がいることに
びっくりした。日本人の数は減少しているけど、どこかに同じような人が暮らしているんだ、と思って
少し安堵した。
火曜日の開店前に、スレンダーできれいなひとが、お店の前に並んだ。
12時開店の看板がたっているけど、10分前には開けるので「どうぞ」といったら、にこっとされて「すいません」
といって、窓際のステンドグラスのところに坐った。この席にはじめてきて坐る人は、前世から繋がっているくらい
無駄のない縁で繋がっている人が多い。
「能登そばUFOを食べにきました」というので、「宇宙からきたのですか?」と聞き返した。
笑いながら「新宿からです」とのこと。夏限定なので、「鳥そば」に変更してもらって、だした。
蕎麦を茶人のようにきれいに手繰った後、「ほぼぶらじる」を飲みながら、ぽつんと・・
「わたし 二年前に能登に家を買い、同じように東京と能登のデュアルライフをしております」
とのこと。例のテレビ金沢の映像を見たらしい。「なんで能登に?」「能登で何するの?」と、何百回くらい聞かれた質問を投げかけると、
「取り壊されそうになった古民家にひとめぼれしまして・・」「子供がまだ小さいので、能登には
完全移住するにはいたりませんが、あちらにいくと子供たちも喜ぶのでいずれは・・」
という。うちは子どもはいないけど、能登に子供つれで遊びにくる時の、「子供の顔」が
天真爛漫て印象的だ。「能登のどのあたりの家ですか?」と聞いたら、「志賀町・・・」
「それは、うちから車で10分ほどや」とふたりで顔見合わせながらびっくり。
世の中に、同じ顔したもんが3人いるとはよく聞くけど、こんな稀有な「生き方」を
している人と東京ではじめて知った。
夕方その人からメールが来て、正確な住所と、家の中の様子が添付されている。
グーグルマップや、友人のブログで能登町の「あばれ祭り」の映像まで添付されている。
まだ30代とおぼしき人であるが、「ここに家の鍵がおいてあるので、こんどいかれた時、中をのぞいてください」
とのこと。「シエア」することが、あたり前になった時代ではるが、ほんとうに「新しい時代がきた」と痛感する。
うちの家は海まで徒歩3分。そこの家は、3秒。家も古色蒼然としてるが、調度品や美術品もちゃんと整って
いてやはり美術館みたいな癒し場である。能登がまたまたおもしろくなってきた。
テレビ金沢に紹介されたのに、集落の人たちとお茶を飲んでる映像がある。そこの部屋
は、置き床のところに「木庵」の掛け軸があり、その隣に鎌倉彫の飾り棚があって、そこに
唐津の抹茶茶碗がおいてあって、よく抹茶を点てる。久保さんが土で器をつくり、それに清水公照さん
が揮毫したものだ。小ぶりで「ひとり茶」の時にいい。清水さんは東大寺の館長さんだった人で
「昭和の大仏殿大修理」をなしとげられた「えらい坊さん」だ。生前たくさん久保さんとコラボをしたけど、
こんな言葉を残した「えらい坊さん」。
「自由に生きるって? 歩いてみなはれ」
「息が出入りしているのにフイッて気がついたら、ははっつと納得できるやろが」
「な~んでもないことによ、気がついたら しめたもんや」
ひとりでお茶を飲む時、いつもそんな声が聞こえる。
だまって歩いていても、右足左足と交互にでる。息も意識してなくても吸える。
意識すると宇宙と繋がるような深い呼吸もできる。のどが乾いたら、口から水が飲める。
なんの不足も不自由もない。なのに人間はあれこれ、不満たらたらな毎日をおくっているんやろう。
1月31日(金) 開場19時 開演 19時半 4000円(蕎麦会付き)
赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)
2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)
演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)