今日で1月が終わる。とても暖かい日が続き、世界中でいろいろな出来事などがあって、
すごく一ケ月が長く感じた。大分で不思議な家族と出会って、毎日彼女たちのCDを聴いている。
聴くたびに、いろんな星を旅しているような気分になる。知り合いの詩人の年賀状に
「尋星」と揮毫したものがあった。ロマンティックで星の詩などをよくかく人だ。
・・・・・これを「じんせい」とかさねた。さすが詩人である。
今日は、翔くんとその仲間と、ニューヨークから洗濯板を(ウォッシュボード)携えたアーティストがやってくる。
だから、お店は16時に閉店なり。洗濯にするか洗濯板ライブにするかの選択も楽し。
先日の朝日新聞に、人間国宝の柳家小三治さんが「朝日賞」をとった挨拶文がのった。
「朝日新聞はとってないが、何十年と通っている近所の喫茶店で朝日を読むのを楽しみにしています・・」
とあった。池袋にあって、ヨネクラボクシングジムに通っていたころ、よくその店にいった。
不思議な話であるが、水曜日はそのお店で本を読んだ。
池袋の東口を新宿のほうに歩くと、左手にジュンク堂がある。水曜日に板橋の歯医者にいき、
ひさしぶりにそこから池袋まで歩いた。いつもスポーツバッグにグローブとタオル、手に巻くバンテージを
入れて、目白のヨネクラボクシングジムに通った懐かしい道。40を過ぎたころ、ポール・スミスのスーツを
買おうとしたら、ウェストサイズがオーバーしていた。なまいきにそのころは、ほとんどがオーダーメイド
にしていたが、体系もオーダーしか着れないないような体たらくな生活だった。
一年間まじめに通って11k減量し、憧れのポール・スミスのスーツを買って悦に入っていった。
でもそれから、ギャラリーの仕事にシフトしたので、ほとんどスーツは着たことがない。
最近はもっぱら葬式に列席する時だけになった。
そんなこと思い出しながら、ジュンク堂の中で「一冊の本」を探す。ひさしぶりにその喫茶店にいこうと思ったから。
一階玄関入ったとこに、今年の「芥川賞」「直木賞」をとった本が重ねてあった。
その脇に、文庫本がいくつかあったので、手にとってみた。西加奈子さんの「iアイ」(ポプラ文庫)だ。
帯に
「この世界にはアイは存在しません。」
入学式の翌日、数学教師は言った。
ひとりだけ、え、と声を出した。
ワイルド曽田アイ。その言葉は、アイに衝撃を与え、
彼女の胸に居座り続けることになる、ある「奇跡」が起こるまでは・・・
小説の中にも「この世界にはアイは存在しません。」が映画音楽みたいにたくさん登場する。
ちょうど前日あたりに、「あいがいっぱいあります」みたいなショートメールをもらった。
不思議なシンクロを感じながら、その本をゲットしてその喫茶店で読んだ。
「サラバ!」で直木賞作家になった小説家だが、この「iアイ」は、ノーベル賞にしてもいいね。
自分の殻に閉じこもったり、ナルシスティクな愛を愛だと思っていたり・・・うずくまる人多しだ。
朝ドラのスカーレットは信楽の女性陶芸家の物語。信楽の花入れのことを「うずくまる」という。
人が悩み事をしながらうずくまっている姿に似ているから、らしい。そんな現代人がごろごろしている。
「うずくまる人」の特徴は、イヤでイヤでしょうがないことを毎日続けていくエナルギーをもっているようにも思う。
そのエネルギーは、人からよく思われたい、人から変な人と思われないためであったり、人から嫌われないためだったり、からである。
この小説の主人公の「アイ」も、そんな「うずくまる人」だったが、いろいろな人と恋愛したり、
ふれあったりするうちに、「愛あるひと」に変わっていく。
この「iアイ」のラストが感動的だ。何かワクワクしたり、ほとばしるものを感じて、玄関を
飛び出したり、海に裸で飛び込んでいく・・・そんな感動がなくなったら尋星(じんせい)もおしまい。
1月31日(金) 開場19時 開演 19時半 4000円(蕎麦会付き)
赤須翔(ギター)
シャンデル・ロブレス(ウォッシュボード)
2月29日(土) (仮)De amor em amor (ブラジル音楽)
演奏:寺前浩之(バンドリン)、バエデール・麻衣(サックス)、岸本麻子(ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)