事実をどう受け止めるかによって人生は変わる

火曜日が書の会、水曜日がおんなかっぽれ・・・これで今年の寺子屋は終わった。
明日の「大石組のライブ」が終わると、明後日から「年越しそば」だ。

火曜日に、背のすらっとした若者が蕎麦を手繰りにきた。顔を見て「まさくん!」と叫んだ。
「佐賀のがばいじいちゃん」「気骨のすし会」を末期がんにかかわらず、亡くなるまで3年やって
くれた「片淵さん」のお孫さん。まさくんは、じいちゃんと時々きて、宿題したり、本を読んだり
しながら、天真庵のすし会に参加していた。そのころは、まだ恥ずかしがり屋で、口数も少なかったけど、
背筋がちゃんと伸び、挨拶もしっかりしている。普通なら大学1年のはずが、「どこかで修行している」
のが伝わってきた。

「すしでいくか?」とガチンコ質問してみたら、「いまフレンチを修行中です」と返ってきた。
「ひょっとしてKで修行してる?」と聞くと、びっくりした顔して「よくわかりますね」といった。
フレンチは、おごってもらってもいかないタチだが、なんとなく不思議にKのような気がした。
「時間があったら、ナガヤ、にいってみて。」というと、興味津々な顔をした。

彼のじいちゃんは、まさくんが高校に受かった朗報をきいた2日後に召された。
昭和31年、高校生のころ夜汽車をのりついで、東京駅に着いた時に財布の中には、じゃり銭が
何枚かしか残っていなかった。住み込みの寿司屋に弟子入りし、3年間必至で働いて独立。
自分でリヤカーを改造して(5000円でできた、と自慢しながら笑っていた)、渋谷の今の文化村
あたりで「うどんとつまみと酒」を売った。当時そのあたりをしきっていたA組のヤクザに脅されたり、
反対の警察にも注意されながら、5年くらい死に物狂いで働き、渋谷で「佐賀」というお店をつくった。

還暦を過ぎ、それを後輩に譲り、長野の松川に移住して自然農でリンゴをつくっていた。
奥様がガンになられて、東京にもどってこられ、看病しながら看取った後、ご自分もガンになられ、
一度手術をしたけど、その後は「自然にまかす」という生き方にきめ、「元気なうちは、天真庵で
すしをにぎりたい」ということになって3年やられ、八十路の前に旅立たれた。時代は違うけど、
「夢」を抱けば、現実になる時代。そんな社会にもどさないとあかんばい。学歴やキャリアがなんだ、「おれの道はこれや」でいけた時代。
隔世遺伝で覚醒されたまさくんの将来が楽しみである。

「許せない人がいる自分」を許すと、人も許せるようになる。
「手放せない自分」をただ受け入れると、捨てられぬ荷を担ぐくらい軽くなる。
「自信のない自分」を受け入れると、その自信のない自分を受け入れることができる自分が「いまここ」にいる。

◎事実をどう受けとめるかによって 人生は変わる。            感謝。