昨日は、ボクシング。村田が初防衛した。
拳四郎も7度目の防衛。いつも村田の興行といっしょにやるので、
テレビにも露出しないし、階級もフライ級なので、あまり知られて
いないけど、これまでのボクサーとは次元が違う。
彼がはじめて後楽園ホールにデビューした時、たまたま応援するボクサーの試合
があったので、カリスマ動物病院の医院長と観戦にいった。セミファイナルに
そのボクサーがでて、メインイベントの時、リングにあがる「拳四郎」の童顔な姿
にびっくりした。でもゴングがなった時、各上の相手に、余裕の顔で、相手のパンチを
よけ、左一本で戦う姿を見て、医院長と「これは世界にいくわ」と、はもった(笑)
すぐに、世界にいって、知らない間に7度防衛。楽しみな選手。
36歳の八重樫選手は、彼らしいボクシングをしたけど、一歩及ばなかった。
大橋会長が「タオル」を用意している姿が印象的だった。(レフリーが判断する前に、選手サイドでタオルを投げると、試合が中止される)。
大橋会長も、トレーナーの松本好二さんも「ヨネクラボクシングジム」出身。ぼくも、目白にあったヨネクラジムに通った時期があり、
いろいろなボクサーたちとふれあった。柴田国明、ガッツ石松、川島、中島、大橋・・・5人の世界チャンプを育てた。
松本トレーナーは、東洋チャンピオン。日本チャンピオンもたくさん輩出した。
一昨日の朝、携帯が鳴った。「いわもと ボクサー」で登録(英語の先生も岩本なので、そちらは 「いわもと 英語」)
開口一番「おはようございます。間違え電話です。すいません。のりや と のむら を、間違えました」とのこと。
昔もらったパンチのせいではないだろうが、時々同じようなことがあった。ちなみに彼は、大山で「岩もと」という寿司屋をやっている。
岩本弘行。ぼくと同じ年で、元はヨネクラジム所属の日本Jフェザー級チャンピオン。11回防衛(その当時は記録)した。
初防衛が難しい、といわれるけど、挑戦する時はみんな勢いがあるし、ソレ(勝)ことしか頭にないので、やるしかない。
防衛する時は、そんな勢いのいい(岩本いわく・・「みんなぼくより強い相手だった」)ので、彼は毎回瞼を切って、
流血した。彼のトレーナーで今は天国にいかれたけど「血止めの松本」といわれた名トレーナーがいた。松本清司さん。
「テンカウント −奇跡のトレーナー松本清司」で検索すると、アマゾンで、その本が買える。
この天才カットマン(血止め)のトレーナーがいなければ、岩本さんのボクシング人生はもっと短かったし、
彼が、自分より強い相手にいつも挑戦者の気持ちで向かっていけってのは、後ろで「松本さん」が見守って
くれていたから。いまでも、「岩もと」のカウンターの後ろには、タオルを巻いてゲキを飛ばす松本さんの
写真が飾られてある。彼は、すしやというリングで、闘い続けているのだ。
「テンカウント」というのは、ボクサーが引退するセレモニーの時、ゴングを10回鳴らして、名誉をたたえる儀式のこと。
なかなかその機を自分で判断するのはむずかしい。岩本にテンカウントの印籠を渡したのが松本さんで、そのふたりの「ボクシングもよう」
が、本に綴られている。八重樫もきっと今回の試合で緞帳を下げ、テンカウントの儀式を迎えると思う。ほんま、ええボクサーやった。
岩本は世界に一歩及ばなかったけど、松本さんといっしょにヨネクラジムに「血止め」のノウハウを残し、今は横浜の
「大橋ジム」がその伝統を受け継ぎ、世界で戦うボクサーを育てている。井上尚弥は、その代表であり、これまでとはスケール
がまるで違う選手。
ときどき、大山の「岩もと」に鮨をつまみにいく。往年の世界チャンプや、現役のボクサーたちも
よくカウンターに並んで鮨をつまんでいる。ボクサーの「平均現役時間」は、3年くらいだろう。
「それから」のほうが長い。11度流血しながら防衛し、すしやに転向して、いまだ現役ですしをにぎっている。
岩本のすしは、なんとも晴れ晴れしく、一貫一貫に「魂」がやさしくにぎられているようだ。
裸ひとつで、こぶしをにぎりしめて、リングで戦うボクサーは、「生きかた」を教えてくれる。
肩書や名誉や財産は二の次三の次。「無為」・・・「あるがまま」なのである。
今日は「書の会」
貞本先生は、大塚の「江戸一」(ここの主人も、昭和31年うまれでいっしょ)で知り合った。
彼もぼくに「あこがれて」(ウソ)、ヨネクラジムに2年くらい通ったことがある。
明日は「おんなかっぽれ」
土曜日が「大石さんのライブ」