今朝は☂もあがり、能登のゴーゴーと鳴る海風は冬の茶飯だが、散歩日和なので近くの神社まで歩く。
庭の柿の木は、葉は裸になり、残った柿の実が風雪に耐える姿はまさにこの季節の季語そのもの。
ジョウビタキのつがいが「おかえりなさい」と挨拶してくれた。彼らは渡り鳥で、600kmの
旅をする。こちとらは東京から550km。しかも車にのってやってくる。あちらは、小さな体ひとつの
命がけの旅だ。「おまえらほんまにえらいな」と返事した。ふたり(二羽)が笑った!
昨日は一日☔だったので、港でとれた豆鯵(生きていた)を100匹ほど捌いて、干物にして
軒下につるした。からすが狙いにくるので、干物つくりの青い網の上に、ビニールのあついやつを
かけて干した。そしたら、下から野良猫が狙っている。網に入りきらなかった小さな「あまり」を
猫にあげた。ちょっと不足そうにしながら咥えていった。猫は「足るを知る」をしらない。
昨日は晴耕雨読とばかりに、本を読む。白州正子の「明恵上人」を読み返す。「あきえ」といったり、
「めいけい」といったりする人が多い。スナックの名前ちゃうよ。「みょうえ しょうにん」いうんです。
日本の茶の歴史は鎌倉時代に栄西が大陸から茶の種をもってきて、九州の背振山(せぶりやま)に蒔いたのと、
明恵上人が京都の栂尾(とがのお)に茶種を植えて育てた、を起源にする。
茶だけでなく、教祖にはならなんだけど、宗教家・・・「生きた」という軌跡を残した宗教家としては、
法然や親鸞とか道元とか同時代の宗教家に負けない、世界に誇れる日本人だと思う。
「一年一組 あのね」を読むきっかけになった河合隼雄先生の著書に「明恵 夢を生きる」というのがある。
ユングの研究者であり、夢分析の大先生が、明恵上人の「夢の記」を読み解き、宗教と化学の接点にたつ
力作だ。その二冊を読んだら、茶を飲みたくなって、囲炉裏においた薬缶のお湯をさまし、宝瓶で玉露を入れた。
お茶受けは、庭でとれた柿を干したん。その後は、いつものように、竹葉をチロリに入れ、薬缶につける。
昼ごはんはたべず、はやめに二食目の夜ごはん、が最近の定番。といっても、ご飯は食べない。「酒」がごはん。
近所のおばあちゃんにいただいた野菜をサラダにしたり、鯵を焼いたり、門前(近くの総持寺の門前の豆腐が秀逸)の
豆腐を酒肴に飲む。今回の久保さんにつくってもろうた「隕石入り酒器」で竹葉のぬる燗を飲むと「燗あがり」がものすごくする。押上文庫ちゃんもうなった!
「宇宙無限力」を日常茶飯に入れると、人生が100倍楽しくなる。来年あたり世界の人たちが、東京にきて「隕石」と「オリンピック」を堪能するやろ!
昨日は朝と同様、寝る前も25分くらい「正心調息法+自己流」の瞑想をし、タオルに「うめ星」を
いれて寝たら、不思議な夢を見た。「たかが夢 されど夢」である。宇宙も夢も、おなじもんや、がわかるといいね。
「最近のわかいもん」のみならず「年とったもん」も、「夢」をほとばしるような気持ちで語る
ようなんが、少なくなった気がする。「夢」抱いてますか?人生は短いし、一回しかないよ。ほんま。
ぼくは、そばやを始める50歳のころ、こんな「夢」をまわりに語った。ほとんどが「いいね」といった。
でも、あまり大した夢ではない。誰でも「やろう」と思えばできるような夢。
朝まずめ(朝日がでる前の時間 魚も食事をしたくなるころ)に、30分釣りをする。
その後に一回蕎麦を打つのに30分(20人前)。お店に暖簾をかけ、蕎麦がなくなったら、暖簾を入れる。
それから、晴耕雨読の時。畑をやったり本を読んだり。夕方になると、若いお弟子様が
やってくる。ぼくはカウンターの隅っこで、沈む夕陽を見ながら朝釣った魚をつまみに一献・・・おわり。
単純な夢やし、まわりの人は、何百回か同じ繰り言を聞かされたと思う。でもあまり無理せんと、
お金もかけず、ほぼほぼ9割かたこの夢はかなった。でも欲はないけど、夢は宇宙みたいに膨らんでいく。終わりはない。感謝。