いよいよ大晦日。。
京都では、晦日には「おから」を食べる習慣がある。「きらず」という。
きらずに食べれる、の縁起から、来月もまた縁が切れませんように、との願いが込められている。
大晦日には、そばを食べる。そばは江戸時代に16文やった。二×八そばの洒落。
そばは、二割の「つなぎ」(小麦粉)を入れてつくる。これも「つながる」という縁起をかけて大晦日に
食されるようになった。
29日は、親子・家族の蕎麦打ちやった。まだ年少組の子らも、エプロンとバンダナを巻いて
参加。「ぼくが先だ」とか兄弟喧嘩しながら、蕎麦粉と戯れている。餅つきもそうだけど、
みんなで協力しながら食べ物をつくっていく、というのは「食育」の中心にあっていいと思う。
そして、一番大切なんは、地球の環境を整えること。今はギリギリのところへきている。
天真庵デビューが、母親のおなかの中・・という子も多い。子宮にいるころから、そばを間接的に
食べている子らは、蕎麦アレルギーがなく、もの言わぬころから、そばを手繰って(正確には、手繰る練習)
いる。玄米をたべる時、ひじき煮とか野菜中心の副食を好むように、小さいころから蕎麦を食べる子も、
それに近いものを好む方向にすすむような気がする。
昨日は、年越しそばも佳境を迎える。打つ人がいて、地方の発送もあるので、朝から坐ることなく、
そばを打ち続ける。一番弟子で毎年30人分打つお弟子様が、風邪をひき、その分も打つことにあいなって、
昨日は130人前くらい蕎麦を打った。時間をみながら、表にほした干し柿を喰ったり、差し入れのシフォンケーキを
食べたりしながら、陽が沈むまで立ちっぱなし。毎年神社にも、買い物のもいけない日。でもありがたいこっちゃ。
終わった後、風呂吹き大根や、数の子をつまみに、「鍋島」をわびすけ(隕石猪口)で飲みながら反省会。
酸の強い鍋島あたりを、隕石猪口で飲むと、酸が無駄なく際立ち、酒そのもの味が、あぶりだされる、そんな気がする。
先日、近くの「粋香」の主人がかいらしい嫁はんを同伴で蕎麦を手繰りにこられた。大学の3つ後輩で、お店を始めたのも3年後輩にあたる。
遅ればせの還暦の祝いに「隕石入り器」をプレゼントした。日本酒のことを知り尽くしているので、これから
いろんな酒を、隕石とふれあわせ、味の変化を楽しみながら推敲して「日本酒と隕石」の本でも著してほしいものだ。
今朝の朝日新聞のカラー見開きに「20年後にアメリカ大統領を輩出する」というハデな広告が・・・我が立命館大学だ・・
それが実現する日までこの星にお互いにいたら肩組んで「グレータ 立命」を歌わなければいけない。
いけない、そろそろ、買い物にいかないと、「そばもん」たちがやってくる。
明日明後日は、営業しております。時間があるひとは「年越したそば」を食べにきんしゃい。感謝。