神様が決めたこと

昨日は能登から、世界遺産の五箇山を超え、高山から下道で松本までいって寄り道をして
深夜に東京にもどってきた。途中のアルプスの山は、頂(いただき)に雪化粧をしていて、
雪の下は紅葉があり、その下には松などの常緑林がひろがっていた。
「三段紅葉」という。神がつくりたもうた自然そのもの。

松本に「大久保醸造店」という100年の歴史をもつ醤油屋がある。
ぼくのそばの師匠が「そばの神様」といわれる高橋邦弘さん。40代のころ
彼の道場(そのころ広島と島根の県境の山奥にあった)。最終日に神様が
軽トラでバス停までおくってくれた。バスがくる10分前にバス亭に到着。
「どうぞ、ここで待つので、おかえりください」と別れの挨拶をしたら
「まだ10分もある。」といって、軽トラの助手席に座りなおしたら、
「かえし」(ソバツユの根源的なもの)の作り方を口伝していただいた。
神様が教えてくださった「黄金比」だ。
そのかえしに使う醤油二種をつくっているのが、「大久保・・」

松本にある小さな醤油屋といえ、日本中の「これ」という蕎麦屋や料理屋のご用達であり、
欧米やベトナムあたりの日本料理屋などでも使われている逸品。
どの世界にも「高いもの」と「安いもの」がある。大豆と水と麹と塩で醤油はつくられる。
ただそれだけだけど、いろいろケミカルなものを加えて大手の醤油のラベルを見ると、
横文字の添加物が加わっている。大久保さんのは、シンプルそのものだ。
一度「ほんもの」を味わってみると、似て非なるもんとの違いがわかる。

電話で注文する時、ときどき(この13年で2度だけだが)、電話に会長こと齢80歳
になる大久保文靖さんと話をする。いたってシンプル。
「世の中には、きまったこと、と、きめたことがある。ホンモノとニセモンみたいなもんよ。
自然の中でできる大豆。麹。水。塩・・この恵は神様がきめたこと。それに何かを足したり、もどき
にしたり、もうけをのせたり・・等が、きめたこと。消費税がなん%いうのも、役人がきめたこと。」
というシンプルな哲学。でもホンモノはみな簡素。「わしのいうことは、10年たっても同じ。根本に
近いことしかしてないので」が口ぐせ。

蔵の中の部屋に通され、お盆に萩焼の急須と茶碗がはこばれ、会長みずから湯を
注がれ、「うまいから飲んで」(へりくだった言い方はきらいだ、とのこと)とのこと。お茶うけは、自家製の酒粕につけた野菜。
その部屋に7人が大きな卓でいっしょに食事をする写真が飾ってある。雑誌の取材の時の写真。
「毎日の食事の風景。いいやろ。孫まで7人が同じ屋根の下に暮らし、同じものを食べる。100年続けてこられた根本がこれ」
とのこと。ときどき、蔵の中でSPの鑑賞会をするらしい。会長は特にモーツァルトのピアノが好きだという。
酒蔵で音楽聴かせながら「かもす」というところもあるが、この醤油屋は創業以来そうしているらしい。
なにごとも「作為」ではなく、「自然」なのがいい。「こんど松本に宿きめて、モーツァルトをいっしょに聴こう」
という約束をした。「せっかくだから、ぼくが8年がかりで特許までとった樽を見ていきませんか」
というので、見せてもろうた。

なんと、大きな杉の木でできた樽に漆が塗られていて、それが蔵の中に横たわっている。
「まだ使いはじめなので、できる醤油が若い。あと10年くらいすると、いい醤油ができる。
女も男も、若いだけではおもしろくないやろ。みないっしょ。これもきまってるもんやな」といって
少年のように笑った。あと十年というたら卒寿。夢を追う少年そのものだ。
「きまった」ことに寄り添い、きめた道をこつこつと歩いた80年。
「人の行く裏に道あり 花の山」・・ひとつごとをやり抜くには、孤高なものを目指す孤独がつきものだ。

その後、教えてもらった近くの温泉にいき、少しぬるめの湯に入って、前の日に読み直した
歎異抄のこととなどを思った。若いころと違って「他力」のことが少しつかめた。
この世に生まれ落ちた瞬間から、空気を吸い、母の乳を吸い、いろいろなものを口に入れ、
他の命をいただきながら、死んでいくまでの間、ほとんどのものが「自力」ではない。「他力」。
家族の一員にさせてもろうたこと、その後いろいろな出会いなどがあったり、ほとばしる恋の相手
ができたり、結ばれたり、また家族ができたり・・・すべて「神さまがきめたこと」すなわち「他力」だ。
その「きまりごと」の縁に感謝しながら生きていきなさい、と親鸞さんは「他力」を説いていかれた。
京から佐渡へ罪人として流される間、北陸の民たちは、親鸞さんの話をよく聞いた。違う宗派のお寺
が、わざわざ「浄土真宗」に変わった、という寺もあったらしい。

相撲中継のテレビのある休憩室で、メールをひとつ。遠藤と地元出身の関脇(琴なんやら)との対戦に
なったら、みんなあつまってきた。能登出身の遠藤が勝った。能登の温泉だったら、みんなで拍手喝采の時。
みんな「え~ 遠藤に負けた」とか、お風呂からあがってきたじいちゃんは「どっちが勝ったの?」と聞いてくる。
ポーカフェイスで「え・ん・ど・う・・です」といいながら、残った牛乳を飲みほして、帰路を走る。感謝。