香箱蟹の季節

季語の少なくなってきた都会では、衣変えの時くらいしか季節を感じないが、
今年は「令和」になり、秋9月ころから、毎月の満月を過ぎるあたりから、大きな季節の変化
が見られ、11月11日11時11分からは、ガラッと地球の根本命が変わったような気もする。

明日東京に戻る。昨日は午後から☔という予報だったので、家の横の畑と、駐車場の裏のさつきの畑と
ふたつの畑に鍬を入れた。家の横は、長年隣のおばあちゃんに貸していたので、鍬も力をかけずに掘り起こせる。
でも農薬や除草剤を使ってきたので、みみずもかえるや虫がほとんどいない。辛味大根を植えても、「そのまま」だと
幼子のチンチン以上には育たない。もうひとつの畑は、まだ石はごろごろしているし、そこに自生していた植物の根
もいっぱい土の中にある。鍬に力を入れないと容易に土がほれない。でもみみずやオケラがいっぱいいるし、これから先はかえる
の冬眠のねぐらにもなる。辛味大根も立派な男根みたいなんがとれる。二股の女人みたいなんもとれる。いのししが時々遊びにくるけど、それはみみずが目的のひとつらしい。自然界の環境がかわって、いのししや鹿やクマが人里にあらわれ、テレビなどで大袈裟に報道したりするけど、結局、一番の犯人は「人間」だ。

さつきの畑のお隣さんは、テレビにもでてくれたけど、今年千葉からUターンして実家にもどってこられた。
畑もやれば、海にもぐってさざえを採ったり、伝馬船で釣りにいったり、このへんでは「日常茶飯」な自給自足力を
もともともっておられる。うちの畑のまわりの雑草を刈ってくれたりするので、いつも「ほぼぶらじる」を
お礼がわりにもってくる。昨日はそのお礼に「香箱蟹」を二杯もってきてくれた。生きていた。
松葉ガニ、ズワイ蟹もいいけど、この時期の♀の香箱蟹は、天下一品だ。

京都に住んでいたころ、先斗町の歌舞連所の近くの路地裏の小料理屋の女将が、冬にはきまって香箱蟹を使って酒肴にしてくれた。
カウンターだけの小さな店やったけど、人間国宝の近藤悠三さんの器がなぜだかいっぱいあって、舌と目の勉強をさせてもろうた。
「染付の悠三」といわれた人だ。茨木窯といわれる大阪の茨木にあった場所は今は骨董屋になっている。天真庵で使われている
天井の碍子や、漆の器はそこから調達したものが多い。その骨董屋の美人女将は、「いつでもどうぞ」と一泊1000円で泊めてくれる。
泊めてくれる部屋には、近藤悠三の煎茶茶道具などが、ぞんざいに並んでいたりして、帰る時は宿泊料の何十倍を払うことしきり。
でもずっと使い続けていかれる逸品ばかりなので、結局、いいもんを買わせてもろうた。感謝。
大学は横に卒業させてもろうたけど、そのころの京都には、「いま」につながる一生もんの勉強を教えてくれたところがいっぱいあった。

京都の御所の近くに「烏丸」という通りがある。「とりまる」と呼んではいけない、「からすま」が正解。
昨日紹介した暁烏敏も、鳥ではなく烏で、「あけがらすはや」・・・おまけにもうひとつ語録を・・

〇私たちにいうて来ることに、あまりよいことはない。人生の悲惨ななことを多く持ち込んでくる。
自分は人生の悩みを捨てる塵捨箱に類する人間に感じることがある。でも、うんうんと人たちの悩みを
聞いておると、こちらではどうしてやれなくても、あちらで胸がすくというのだから、思わぬお役にたたしていらだくのだと
喜ぶこともある。

注 きれいごとや解決方法をうわべの言葉を使って相談相手にならなかったので、講演も著書もあまり売れ
なくて、「人しらずしてうらみず」の人生やったけど、書と同じように残した「本音の言葉」は永劫に「ほとばしる」もの
がある。メールの一行一行も「ほとばしる」もので交換していきたいものだ。感謝。

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