縄文時代の追い込み漁みたいなんで、一網打尽にとれた豆鯵をたくさんいただいた。
30匹を、ぜいごをとり、内臓をとって、片栗粉をまぶし、菜種油であげる。
別の鍋に、昆布と鰹節で出汁をとり、鷹の爪、玉ねぎ(長ネギでもいい)を刻み入れ、酒、砂糖、酢を
入れて、鯵を入れた時にいい味をイメージしてつくる。あがった味を、その出汁に入れて、一日おく。
そんな具合だ。大きな鯵は同じく天ぷらにして、ビールのつまみに・・・
まだ200尾くらい残っている。この春に金沢にもどってきた、天真庵の椅子をつくってくれた般若くんのおくさん、ヨッシーに電話
して「豆鯵を200尾くらいもらったので、明日もっていきたいのですが・・」といったら、困ります(そんなこといわないけど)、
「彼と相談します」という。木曾でしばらく住んでいたふたりが魚をさばけない、のは当然だ、とさとり
「では、南蛮漬けにしてもっていく」といったら、少女のように喜んで、「じゃ、夕飯ごいっしょにしましょう」
ということで、白山神社、中川一政美術館、鈴木大拙記念館などをまわって般若家で夕餉。「美田」を般若くんと
ふたりで一升あけた。
中川一政美術館は、神奈川の真鶴にある。97歳まで生きたけど、その前年1989年にできた。
その少し前、1986年に、松任市(今は、白山市)にできた。JR松任駅前にある。
絵を描き、書を書き、陶芸やエッセーも残した。「腹の虫」というエッセーは、最高。
どれが本業かわからないくらい多彩な才能を開花させた。次の言葉が彼の美意識、生き方をあらわしている。
「門の中に入っているのが専門家」「入ってでられないのが専門家」
いい得て妙だ。腹の虫には
「私の中に腹の虫が棲んでいる。
山椒魚のようなものか海鼠(なまこ)のようなものかわからないけが棲んでいる。
ふだんは私はいるのを忘れている。」という言葉が入っている。
「美田」を飲みすぎて、帰りに能登の海で西郷南洲の「偶感」を吟じながら立小便。
幾たびか辛酸を暦て 志始めて堅し
丈夫玉砕するも 甎全を愧ず
吾が家の遺法 人知るや否や
児孫の為に 美田を買わず お金や財産を残すと、ろくなことになりませんよ、と西郷どんが教えてくれている。感謝。