南島原のそば

演歌のご当地ソングみたいだけど、名古屋のそばの次は「南島原のそば」

ぼくのブログの入り口に、黒板の前でそばを打っている写真がある。
南島原の廃校になった小学校でそば打ちをした時の写真だ。
「その時にそばをたべたバイ」、という青年が昨日そばを手繰りにこられた。

南島原には、4年ほど前に、そばのお弟子様の「なつきくん」が、じゅんちゃんと
移住して、「くちのつ巷珈琲焙煎所」を始めた。福岡に里帰りの足を延ばして、何度か遊びにいった。
移住のお祝いに、蕎麦打ちの道具を合羽橋から贈った。現地にいくと、公民館とか廃校になった小学校で
「蕎麦打ちイベント」が用意されていて、ままよ、とばかりに元気に蕎麦を打ってきた。

「YouTubeで移住 南島原 ば検索すると、ふたりの元気な映像ででとらすです」
と、熊本弁に近い九州弁でいわっしゃるので、夜に見てみると、じゅんちゃんが最初に
でて、なつきくんが珈琲を入れている映像がでた。その後に、南島原を舞台にした映画を
見ていると、すごく懐かしい気分になった。これから「田舎暮らし」を考えている人にはおすすめ。
「楽寂静」(ぎょうじゃくじょう) 禅語で「静かな自然の中でこころ落ち着かせること」大事やね。

南島原の最南端の港が「くちのつ港」。からゆきさんの港だ。半島、端っこや港はいい。
熊本の天草とは昔から交流が深く、言葉や文化もシェアされている感じがする。
天草に「牛深」(うしぶか)という土地がある。「牛深ハイヤ節」が有名で、北前船
が日本海側を、物流とともに文化や芸術も運搬し、あちこちの港に「ハイヤ節」が伝わり
「元祖ハイヤ節」として、40か所くらいのハイヤ節のルーツになっている。舟が物流の真ん中にあった時代は、港港に
男と女の出会いがあり、悲喜こもごもの物語が生まれ、歌や踊りや芸術となって残っているのがいい。ネット時代には味わえないロマン。
九州のある地では南風のことを「ハエの風」といい、 ハエがハエヤになり、ハイヤとなっていったという説がある。
ハイヤ節に♪南風が人の恋路を邪魔して・・・みたいなんがある。旅をする哲をする恋をする。人生は一度きり。

ぼくが移住した能登の志賀町と南島原と新潟の村上の3つの港が昔から「船員さんの町」として三大拠点だった。
これも不思議な縁である。なつきくんたちが移住して、その後に大阪から移住してきたカップルが
ゲストハウスを開き、そこにその「蕎麦道具」が嫁いだらしい。
「何かことをおこす」・・・・なんの大意も期待もしていないけど、そのままほおっていると、不思議な
花が咲くことがある。能登にはまだ蕎麦道具もおいてなく、「ただ生きる」としかテーマがない。
ただ畑を耕し、ただ釣りをしたり、ただ座禅をしたり、ただひとり茶をしたり、ただ茶事に参加したり・・・あるがまま
の毎日をおくっているだけ。「期待もしない」「目的をもたない」いい意味でも悪い意味でもなく「自然農みたいなほったらかし」
な毎日がおくられればそれが一番いい。畑の虫や遊びにくる鳥やいのししたちに「あるがままが幸せ!」を教えてもらった。

「どうやって生きていこうか」と突き詰めていくと、窮屈になって、下手をすると「死」を選んだりすることになる。
「こうあるべきだ」とか「今世はこうやるために生きる」とか「期待や目標」をいったん手放して、内なる魂の声に
したがい、「いまここ」を感謝しながら過ごす。そこいらあたりが、これからの時代を生きるコツのような気がする。
明日11月11日の午前11時11分に、この星のレベルがワンクラス上がるそうだ。天恩感謝。

今日は日曜日なので16時まで営業。それから「蕎麦打ち教室」
明日は「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」
明後日からしばらく「能登休み」 昨日スタッドレスタイヤにかえた。冬支度が始まる。