鶴と亀

昨日は、ねつ造伝統芸「亀学」の西尾さんがひきいる「ソボブギ」
のライブやった。リハーサルを終え、酒を飲みながら、「お互いの旅の話」をする。
最近は九州がお気に入りらしい、「若いもんのけつの穴」という「ワケのシンノス」
の話などをしながら、相語相笑。料理の話などをしていると、お客さんが入りはじめた(笑)
いちばんのりは「みかみくん」。なぜだか「ドタサン」で、みんなを驚かせる。
でも彼がくるときは、何か大きなメッセージが、時空を超えて伝わってくることが多いので、
楽しみだ。過去・現在・未来・・・と時が流れる。でもときどき逆だったり、ねじれ
たりすることがある。本人は気がついてないけど、そんな不思議な力をもった人だ。

先月は「半澤鶴子」さんの茶事。今月が「亀学」。鶴と亀である。
鶴は千年・・・たぶん昔は人間も150歳くらいまで生きていた、という説がある。
だいたい動物は生殖機能までの年の10倍以上は生きるらしい。平均寿命は延びて
いるけど「健康寿命」は、短くなっているようだ。やはりストレスとか環境、とくに「水」
を含めた「食」が汚染されているスピードが加速しているようだ。

能登の畑で「辛味大根」がとれた。2年くらいかけて、20年使われていなかった
畑を開墾した。駐車場の裏の里山に続く「土」(10坪くらい)をいくたびに耕した。
大きく根をはった蔓の撤去、冬眠中のかえるや虫を起こしたり、ときどきイノシシ
が開墾を手伝ってくれたり・・・夏の雑草取りは想像をこえたけど、自分の肉体がボクシングを
していたころに、だいぶ近づいたり、土や空気に浸み込んだ海の塩のミネラルや水が、
とてもコンディションをよくしてくれた。ミミズや虫たちも元気に戯れている。

家の横にも畑がある。昨年まで隣のおばあちゃんに貸していた。一生懸命春夏秋冬、野菜を
つくっていた。虫もくっていないので、たぶん農薬も使うし、雑草もあまりなかったので、除草剤も
使うし、化学肥料も加えた、「普通の畑仕事」をされたいた。そこに、6月に「辛味大根」の種を
植えた。2か月後に、まあまあ立派な大根がとれた。連作というか、その次もそこに種を蒔いた。
同じ種を、開墾した畑にも蒔いた。二か月後、家の隣の大根は、葉も虫にくわれ、根も大根
というより、ひょろっとした男根という感じだった。反対に、開墾した畑のものは、
元気な辛味大根ができた。やはり「これまでの農業は、地球の環境を痛めつけている」と思った。
農業で「なりわい」をしている人には、どういっていいか言葉がみつからないし、それを食べている
今の「食物連鎖」を、どうやって変えていくかの術もないけど・・
その次は、開墾した畑にまた種を蒔いたら、次にいった時に元気な大根ができた。
「自然農」というには、あまりに「あるがまま」だけど、自然の力、を生まれてはじめて体感した。
これまでの「不耕な人生」に少し明るい兆しが見えた。

畑を耕す というのは 自分の命を耕す と=

その畑の守り神みたいな「さつき」の足元に小さな紫式部が咲いていた。生きているを体全体で喜んでいるふう。
小さな畑だけど、ここで野良仕事をしていると、宇宙と繋がっている感覚が鮮明になる。

先週、ときどき恵那の山の中から遊びにこられる「ヨガの仙人」(勝手に命名)が蕎麦を手繰りながら
「あなたのそばは、風のようなそばだったけど、それに土味が薬味みたいに加薬されました」といってニッコリされた。
この人もみかみくんと同じように、不思議な宇宙のメッセージを届けてくれる。

この星に住む、虫や🐗や鳥や土・・・生きとし生けるものはみな兄弟で、この星の恵みを
同じように与えられている。今の経済システムや政治がまずいのか、ヒトの営みが「エゴ」
に満ちて、偏っているのか、環境は悲鳴をあげ、ヒトの営みもあやうげになってきたように思う。
政治家やヒトゴトが解決してくれる問題ではない。やはりひとりひとりが動かないと、何も変わらない。
ものすごいスピードで新しい時代が駆け回っていくように感じるのは、ぼくだけだろうか?