濃い10月が終わる

昨日で濃い10月が終わった。なんか不思議な一か月やった。
10月は昔から神無月(かんなづき)という。神様がみないなくなる。
出雲大社に集まって、「あれとあれをいっしょにさせよう」などという、神様たちが
「縁むすび」の会議をする。だから反対に島根のほうでは「神在月」(かみありづき)という。

その10月に「勾玉」(まがたま)が完成した。「出雲型」といわれるものだ。
世界遺産に登録され、「神の住む島」といわれる宗像大社の沖ノ島にも
たくさんの勾玉がでて、「秘宝館」が実家の近くにあるので、ときどきお参りを
した後に見に行った。その印象が強く残っていて、久保さんに、織部と青と白とスカーレット
(緋色)の4種類をつくってもろうた。それに正絹(しょうけん)の組紐を結び、桐箱入りで
商品化した。スターレット以外は、隕石の粉を入れて焼いてもろうた。
昨日は休みだったけど、ふたりの人が遠くからわざわざ「勾玉」を買いにこられた。

銀座4丁目に移転した「隕石直売所」でも購入できる。隕石屋の主人の吉田氏もぼくも
「宗像」(むなかた)の出身。これから、縁結びの縁が、静かに優美に広がっていくに違いない。
(ほんまは、ゆっくりではなく、想定外の勢いで、縁が広がってきた。懐にしのばせたスカーレットの勾玉(非売品)のせいやろね)
根付(ねつけ)の絹の組紐は、職人さんたちが丁寧につくってくれる。昨日の3時ころ
たまたま時間があいたので、浅草に買いにいったら、品薄になっていた。
「和もの」は、熟練の技が積み重なって歴史を紡いできたけど、高齢化と後継ぎがいないのが
致命的である。外国産の機械ものは安くていっぱいでまわっているけど、「似て非なる」レベル。

てくてく歩く浅草通りの帰路で、「自分に自信をもって、ひとつ道をゆく人が食えなくなったり、後継ぎもなく、積み上げた
歴史が失われる時代」・・・どの道もそやな。陶芸家や芸術家一般にいえるし、これからサラリーマンやスモールビジネス
をする人たちも、そうとうな覚悟をしてかからないと、食えなくなる。今の社会の仕組みが限界にきている。

そんな時、「満つまめのマー君」から電話。先週お店にきて「来月から新しいとこに就職」の知らせを聞いて
いた。「マスター(彼はいつもそういう。隕石屋の主人もそういう。)お願いがあるんですが・・・」
察しはついていたので、「何曜日が休みなの?」と問うと、「11月24日の日曜日にお願いできますか」
というので、快諾した。11月24日(日曜日)から、月一で「満つまめの会」をやることになった。

この3年の間、彼の体調や目の状態やこころの状態で、なんども「やめたり」また「はじまったり」した。
「マスターとこのお客さんを見ていて、気の流れと、その人の心理状態がおおいに関係することがわかって・・」
と力をこめて話だった。「つまり、ひとは自分のことがよくわからへんし、みな自信がないやんね、マー君といっしょやな」
というと、「へへへ」と笑っていた。自分を信じ、自分を愛し、「好き」を続けて、積み重ねていくのが天地自然の理。

その後、昨日中止になった「亀戸の飲み会」の骨董屋から電話。いつものように「顔が見たくなった・・・」
で、まだ暖簾もかかっていない行きつけの店で飲む。
彼は骨董屋をやる前は、デザインで飯を食っていた(広告やの社長やった)。井上陽水や玉木こうじ、忌野清志郎
さんたちのポスターなんかで一世を風靡した人だ。
まだ開店前のお店で、「羽根屋」とか「鍋島」を飲みながら(ここの飲み屋は、天真庵と同じ四つ木の杉浦酒店からいれてる)、
談論風発。1973年、日本はじめてのミリオンセラー「氷の世界」に「帰れないふたり」がある。
陽水が作曲、清志郎さんが作詞という曲で、当時は高校生だったぼくが、「都会的やな」と衝撃をうけた。
YouTubeでふたりで歌っているのが見える。便利な時代。

♪思ったよりも 夜露は冷たく二人の声もふるえていました. Ah Ah ~”僕は君を”と言いかけた時街の灯が消えましたもう星は帰ろうとしている帰れない二 人を残して 街は静かに眠りを続けて口ぐせの様な夢を見ている・・・・・・

数年前までは、ふたりで飲むと、亀戸の盛り場を肩組んで梯子してこの「帰れないふたり」を歌いながら千鳥足を楽しんだ。
最近は梯子をしなくなった。世の中は、突然梯子をはずされたような「まさかの坂」を迎えているような様相。
出雲の神様たちが、どんなシナリオの計られたか、神のみぞ知る。
われわれは、粒々皆辛苦のように、毎日毎日を「生かされている」ことに感謝しながら笑顔で11月霜月も歩いていくしかない。でも感謝。