亀戸の骨董屋

亀戸天神の近くに、妙な骨董屋がある。
ガラス張りの玄関は、珍品堂商会よろしく、中に入る人を
躊躇させるような雰囲気が漂っている。

休みで3時間以上オフになった時など、錦糸町のブックオフで本を買い、
近くのカフェでビール飲みながら読書をしたり、そのまま亀戸まで足を
伸ばして、骨董屋にいくことがある。開いてない(お客さんところへ買い付けにいったり、倉庫を整理したり、忙しい)
時は、亀戸餃子にいって一献(ほんとうは、ここはあまりいかない。。最近は別の意味であこがれの聖地なんやけど・・)

今月は、能登に二回いき、茶事に参加したり、
自分流の茶会を模索しながらお茶や珈琲を入れたり、けっこう忙しい。
今日で10月が終わり、なのが不思議なくらい濃密な「10月」やった。
6月、8月あたりは、静かで、地球のレベルが「あっと」いう間に変わった?
というような月やったけど、今月はいよいよ

パンドラの箱が開けられた?というような感じか・・
今月うぶ声をあげた「勾玉」も、「新しい時代の胎児」みたいに、不思議なところへ縁ずいている。

半澤鶴子さんは「日本のマザーテレサ」みたいな感じの人やった。
茶事は「陰陽のバランス」であり「おとこはんとおなごはんが出会って、結ばれて、子孫が繁栄されることを祈るもんです」
みたいなことを点前をしながら、やさしくほほえみながら、お茶をたてる。また自然体でいれるお茶は、「おいしい」
以外の言葉がいらへん。ブックオフでは、もうひとりの「日本のマザーテレサ」の佐藤初音さんの本をゲット。

お昼前に骨董屋から電話があって「顔が見たくなったのでいっていい?」と電話があった。「こちらは見たくない」
とは言えないので「今日はお休みで、夕方かっぽれまで時間があるから、あとで寄ります」と返事した。
「顔が・・・」なかなか自然に言える人は少ない。昨年まだ若い奥方をなくされた。その時も電話がかかってきて、
涙ながらに訃報を告げる素直さに感動してもらい泣き。深い悲しみにいる友を慰めることは、むずかしく、ただ一杯飲み屋で
横に坐り、杯をだまって傾けるくらいしか芸がないので、ときどき亀戸で飲む。

昨日もそんな日になるかと思ったら、入り口に掛け軸が6本ほど置いてある。ちらっと(骨董屋と話する時
は、ポーカーフェイスが肝要)見ると、「泥舟」と「鉄舟」と書いてある。箱も新しく表装しなおしていて、
「あの経師屋に頼んだ」ということが一目でわかる逸品。高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟を「江戸の三舟」という。
「見たい?」と骨董屋の主人がニヤッとする。「顔は見たくないけど・・・これは見たい・・」とこころで叫んで
いると、同じ場所にある江戸時代の南画家の梅の軸を開いた。「う~ん。いいけど、お茶掛にはね・・・」というと、
「では、泥舟を見る」とニヤリ。いい字が揮毫されている。あまり興味ない顔をして(実はばれてるんだけど)
「鉄舟を見たい」というと、彼の携帯が鳴り、「お茶道具をひきとってほしい」という。
人の恋路や仕事を邪魔するほど、野暮ではないので、ひとりでカフェにいき、佐藤さんの本を読んでいた。
「祈り」の仕事をしている友達に読んで渡そう、とか思っていたら、ちょうどそのタイミングで友達からメール。
シンクロニシティ、というやつやね。

夜は「おんなかっぽれ」
今日は休みやけど、昼にお客さんが二組。そろそろ準備をしなくては・・・・
不思議な10月が終わろうとしている。
「終わりは始まり」だ。素晴らしい時代が始まろうとしている。

カフェで隣に座った若いカップルが、「スピッツがいい・・」なんて話をしている。
犬のスピッツじゃない。♪あいしてる の ひびき だあけで 強くなれる気がしたね・・のほう。
「優しいあの子」の出だしがいい

♪重い扉を押し開けたら
暗い道が続いてて
めげずに歩いたその道に
知らなかった世界・・・・

骨董屋の扉、バーの扉も開くには「勇気」がいるけど、
「自分の扉」をまず開いて、「自分らしき道」を歩いていく、そんな時代の曲やね、これは・・    感謝。

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