十牛図

陶芸家の古松さんから、個展にいって白い器を買った
お礼状が届く。
京都大学をでて「ツチコネール」の世界へ入った人だ。
名前の「古松」もそやけど、なかなかの奇人か貴人である。古松談般若。

まだだれにも見せてないけど、その白い器は凛としていていい。
今日は濃霧がでているけど、寒い朝にまず水を沸かし、茶を飲むにいい。
「ひとり茶」にぴったりの器だ。

ハガキの裏には「十牛図」の版画が施されている。
宋の時代の僧が、考案した「悟りの十段階」を、逃げた牛、とおいかける自分
で、表わしている。彼の選んだのは、牛が勢いよく人を引っ張っている。
「まだまだ若い」段階のもの。ご自分の「今」を謙虚に伝えているのだろう。
「忌憚のない意見をお願いします」と、いい字で揮毫している。
誰かに使ってみてもろうて、意見をちょうだいしたい。

陶芸家の友達を美濃に訪ねた折、永保寺(えいほうじ)に連れていかれた。地元の人は「虎渓山」(こけいざん)と呼ぶ。
岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の禅寺。その後、京都天竜寺をつくる夢窓国師が建立したもので庭もいい。
そこの住職が「十牛図」の本を書いておられ、その絵の挿絵を青山翁がかいたものが本棚にある。青山翁には「ろくろ」を教えてもろうた。
若いころから何度か読んだけど、ぼくのレベルも「牛にひきずられている」ままだ。

来年は、炎色野(ひいろの)がない。どこかのギャラリーでまた再会したい人であり、器である。今やってる朝の「スカーレット」も
「緋色」(炎色  ひいろ)
みんな幸せあれ・・だ。感謝。

濃霧の中を香取さんにお参りして、これから歯医者。
夜は「おんなかっぽれ」