茶や花は、坐る文化。畳の部屋も少なくなり、床の間も
絶滅危惧種みたいに貴重になってきた。でも失くしたらアカンおもうな、やっぱり。
今回能登の茶会に参加した「梅林ガール」たちさんの感想を聞いて、そう思った。
昨日おそう帰ってきて、半澤鶴子さんのエッセーを読んでいたら眠れなくなった。
昨日も書いたけど、彼女の茶の真ん中には「祈り」があんねん。
「いまここ、で、いっしょに一服させてもろうたおひとりさまおひとりさまに、豊かで健康な人生がありますように」というような。
今日日の茶人いうたら、茶坊主を通りこした「におい」がプンプンするひとが多い。
自分で「茶人や」なんていう人は、その一瞬で鼻が曲がってしまうように臭い。
書家も華人たちも音楽家たちアーティスト一般にいえるかもなんばん。
「どや、この茶、すごいやろ。飲ませてやるわ」「おれの字、なんか迫力あるやろ、どや」
「この超絶技巧、しびれるやろ、ボリボリ・・」そんな具合のもんが多い。
今朝は朝から☔。今日は書の会なので、朝はやくから蕎麦を打ったり、汁をつくったり、
珈琲を焙煎したり、大忙し。月に10日も能登で生活しているので、帰ってきた時の仕込みは
少し骨が折れる。今朝はウォンさんの「MOON TALK」を聴きながら蕎麦打ち。
彼がジャズピアニストをあきらめ、新しい世界に行こうとした時に、上から降りてきた曲。
ジャケットの裏に、そんな心境が吐露されたメッセージが書かれている。
コンサートという空間と時間の中で ただ一人、ピアノに向かう時
「演奏」は「祈り」である
人のためでもなく 芸術のためでも、宗教のためでもない
揺るぎない大いなるものにつながり
その内側から語りだすのを
ただ静かに見守り続ける行為としての
「祈り」である
そこから生まれ そこへ帰っていくのである (ウォン ウィンツァン)
「落飾」 落ち葉もそやけど、役割を果たし、自然に葉の色を落とし 葉を落とし する姿が美しい。感謝。
今日は「書の会」 明日は「おんなかっぽれ」
来週は、抱腹絶倒必至のライブがある。
11/6(水)新作CD発売記念ライブ「ソボブキ」
演奏:
西尾賢(ピアノ、三味線など)
藤ノ木みか(うた、パーカッション)
伊藤啓太(コントラバス)
豆奴 (おまけ)
19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)