一昨日は半澤鶴子さんの茶事やった。珠洲焼のイベントのひとつ
として企画されたので、珠洲の「文藝館」の茶室で開催された。
いつもそうだけど、茶事は着物きた女性ばかり。
ぼくひとりが♂で、あとの19人は女性やった。
本来、茶の湯というのは、大名や武士たちのあいだの「たしなみ」
として生まれてきたはずが、今はご婦人たちの茶論になっている。
でも、どんな時代も女性たちが巫女さんのように、神の意志を
感じながら世の中をつくっていくので、令和も間違いなく「女時」(めどき)であろう。
もともと懐石というのは、雲水たちが修行をするときに、空腹をおさえるのに、
箒で掃いた落ち葉といっしょに火にくべ、それを懐にかかえて、グーとなるのを
おさえた。つまり粗末な「おしのぎ料理」が原点。そして利休の時代から
「一汁三菜」が基本になる。くだいていえば、みそ汁・ごはん・香のもの プラス旬の酒肴が一二品。
遠州や織部あたりから、少しくだけて、お預け徳利など、主客逆転して、お客さんに肩の
力を抜き、少し緊張をほぐすような形ができた。
今でも「八寸」になれば、「わたくしも参加しますわ」みたいな感じになって、主人も
お客さんとともにお酒を飲む。同じ杯で飲む。その昔から「お流れ頂戴」というのは、日本人の日常やった。
三々九度、ヤクザの兄弟の儀式・・・みんなそうやろ。
もともとは「天酌」(てんしゃく)といって、天子さんが臣下さんに土器(かわらけ)を与えて
飲ませた、のが起源らしい。茶器や酒器を珠洲焼づくしで頂戴していたら、遠く縄文時代から
つづくこの国の形と波動があって、とてもありがたい茶席を経験させてもろうた。
「千鳥の杯」ともいう。久保さんの志野の盃に、ときどき千鳥が飛んだ文様のものがある。
あまり飲みすぎると「千鳥足」になる。千鳥の入った志野の燗鍋で、少しぬる燗を飲む季節が
近い。春夏秋冬、酒はおいしい。気のおけない仲間と飲むとなおいい。あつあつな時に、
あつあつの湯豆腐なんかをつまみに飲む酒は最高。そんな夢のような季節が終わった人は
古女房と静かに飲むのもいい?酒が飲めなくなったら、あんこ、がある。
昨日は半澤鶴子さんの講演会。珠洲の市長さんも参加された。
「半澤鶴子」で検索するとHPがあるそうだ。全国(いや全世界・・・今月はドイツに一か月近くいってたらしい)
請われると、どこでも自分で茶道具と調理道具を車にのせて、茶事をしてくれはる。
「同じ酒を上下のわけへだてなく飲む」「旬のものを、昨日でも明日でもなく「今」の縁の中で生かせた人と味わう」
「自然に感謝しながら、相手の豊かな人生を祈るような気持ちで茶を施す」
日本人は古来から、そのような気持ちで「茶」を飲んできたに違いない。そんな原点に触れた珠洲の旅やった。天恩感謝。