東京から能登にくる時は、キャンプ用のクーラーに、冷蔵庫のあまりものを
いっぱい積んでくる。夏は保冷剤かわりに、水出し珈琲やアイスコーヒーをペット
ボトルに入れて凍らせてくる。鳥ガラスープもペットボトルに入れて凍らせてもってくると、
朝の味噌汁の時に便利だ。そばもあまると薄いタッパーに入れ、冷凍してもってくる。
ただし、能登の家には、強火のガスがないので、「おみやげ」専用。昨日も「鰆(さわら)」のお礼
が「そば」。粗食のそばが、豪華な夕餉に変身した。
正確にいうと、プロパンガスをまだ契約していない。ケチな吝嗇家みたいだけど、月の10日の
「能登休み」。プロパンガスの契約をすると、基本料金がかかるので、まだしていない。
カセットコンロとひとり暮らしになった母に買ってあげたIHのヒータ(いらなくなったので、能登にやってきた)。
冬は「炭火」で暖をとりながら、調理器具としても活用できる方法。熱燗の味は格別。魚を焼くのもいい!
まだ使っていないけど、東京の店に「ペレットストーブ」を設置した。これがよければ、能登にも一台置こうか
と考えている。災害が多くなってきた日本列島。「イザ」という時、エナルギーを自分でつくる、という命題は大切やね。
電気は契約しているけど、玄関のテーブルで珈琲を飲んだり、夜トイレにいく時などは、キャンプ用のソーラーランタン
を使っている(これは、災害時などにもよい)。
トイレはコンポストトイレ。排泄物におが屑などを入れ発酵してたい肥にして、横の畑にもどす。
お風呂は立派なものがあるけど、まだ使っていない。車ですぐのところに夕陽のきれいな「じんのびの湯」
という温泉があるので、そこか、志賀町の「ころ柿の里」の温泉に入る。東京の銭湯が470円。こちらの温泉
が500円。掃除やなんやかんやを考えると、「都会は銭湯 田舎は温泉」にすると、人生のゆったり感(アフリカ語で じんのび)
が違ってくる。
夜の静けさ、風の音、満天の星空・・・都会から田舎にシフトすると、「大きな世界」とつながっている感が強く、
「おもい」が、深く長い呼吸の中に刻まれていく気持ちがする。一服の茶や珈琲、ひとにたいする気持ちなどがより鮮明に
刻まれていく。
朝起きると、天気の良い日は海に釣りにいったり、畑を耕したりする。今日は風が強く、小雨模様なので、
筆子さんが朝ごはんを用意する間に、「ひとり茶」。道の途中、津幡(つばた)というとこで、湧き水を老人が
汲んでいた。それを大きなペットボトルに入れ、もってきた。
蘇軾(そしょく)の詩ではないけど、「客がきたなら自分で水を汲んでそれを沸かす。」
そして、お気にいりの茶器でお茶を入れ、少しあらたまった呼吸で、友(いないときは神)とお茶をする。なんの不足もない。
一客一亭・・・融通無碍でいい。そんな時間が日常茶飯になったら素敵だろう、と誰でも思う。でも現実は・・「優先順位」
の問題だと思うが。
長崎の卓袱料理に「東坡肉(トンポーロー )」がある。宋の代表的な詩人だった蘇軾の号が「蘇東坡」(そとうば)。
つまり彼が発明したもんらしい。彼が政治家でもあり、左遷させられた時に、自然に親しみ、茶をたしなみ、
粗食ではないけど、料理や酒を楽しんだ。「文人」の代表みたいなひとである。
「赤壁の賦」が代表作。