月曜の朝は・・・

台風一過・・・・昭和20年の東京大空襲の後、焼け野原になった土地に、立てたものなので
天真庵の建物は74歳になる。でもその当時の建具職人の技なのか、建材やの気骨か、木その
ものが今のと違うのか、たぶんそんなことの総合力で、「戦後一番の台風」や「地震」や風雪に耐えて、
うらぶれたシャッター商店街に古色蒼然とたっている。

まだ東京は台風の余波はあるもの、なんとか普通の「月曜の朝」をむかえつつある。
「月曜の朝は卵かけごはん」 のれんは風にゆられているけど、さきほど玄関にだした。
店の前は、グリーンの絨毯。街路樹やお店の前に植えた植物たちが、天才(天災?)が描く
抽象画のように書き殴られたような状態。

台風が過ぎたらフェーン現象みたいに温度がムーと上がったりするけど、山の景色などは
普段とは別物になるので、昔から写真家などはこんなタイミングでカメラを積んで車で
「わけいっても わけいっても 青い山」を走ってシャッターを狙いにいく。

昨日は木工の般若くんから木曾のトウモロコシがおくられてきた。
さっそく、皮を2枚くらい残して、4分くらい蒸し器に入れた。
金沢美大をでて、木曾でながいこと作品をつくってきたけど、この春に
金沢に軸足をもどし、木曾と金沢の「二股暮らし」をしている。
来年あたりは、能登のとうもろこしを金沢におくる、逆転のスタイルになりそうな気もする。

東京の天真庵の玄関や、カウンターの椅子、そばの折敷(おしき)などは、般若くんがやってくれた。
彼の卒業作品の茶箪笥は、能登の家においてある。今回北國新聞にのった玄関のテーブルも、
なんの木か忘れたけど、穴がボコボコあいた木材を使って彼がこさえたものを、有田焼の火鉢の上
にのせたもの。「里帰り」したみたいに、うれしそうな表情をたたえている。

今日は「長屋で女史会」  終わってかたづけたら、能登休みになる。感謝。