昨日の夜、正確には本日の深夜、東京にもどってきた。
大都会・東京から、能登へ向かう時は、だんだん自然の豊かなとこへ移動する・・
という感じ。たぶん里帰りをする人たちも、同じような感覚やと思う。
反対に能登で10日くらい過ごして、東京に戻る時は、富山の街なんかがが「大都会に見える」(富山の人には申しわけないいいかた)
。まだ金沢にはいっていないけど、宗像までかえって、わざわざ人の多い博多の街へはいきたくない、と同じような感覚で、能登に住むと
金沢が「まぶしい」。
長野を過ぎて、群馬の富岡あたりにくると、やはり大都会にもどってきた感が強まり、だんだん町の灯りもまぶしくなり、
トラックの数も増え、ナビの住所が埼玉に入ると、「また都会での生活がはじまる」と気合が入り、首都高からスカイツリー
の姿が見えると、まな板の鯉のような状態になる。
朝飯前にビンカンなどのゴミを捨て(さすがに営業していないので少なし)、香取さまにお参りしながら散歩。
当たり前だけど、ひとが多い。その間に知っている7か8人に挨拶。その他すれ違う人は数えれれない。
昨日の朝は、志賀町で「燃えるごみ」を出した。ごみを出す間にあったのは、じいちゃんとばあちゃんと
ハクビシンの3人(ふたりと一匹や)
「東京と能登の二股暮らし」・・・ただ二か所をいったりきたり・・・の簡単な生活、だと思っていた。
でも今月に北國新聞が「能登と東京のデュアルライフ」みたいな記事を書いてくれ、それを読んだ
テレビ局が取材をしたい・・しかも二社・・・・・・・とのこと。
東京に向かう高速道路の助手席で、テレビ局の人と電話で打ちあわせをしていると、運転している筆子さんが
「どこで暮らしても、おっかけられて、幸せな人やね」とポツリ。
自分的には、もう何十年も「竹林の隠居人」のような心境でいるのだが・・・
今日は「おんなかっぽれ」