昨日は、輪島の「松尾栗園」にいく。輪島と珠洲の境の静かな街にある。
珠洲は、毎月いろいろな用事があっていく。
その途中に、平家の重鎮で壇ノ浦の戦いでやぶれ、この地に流された平時忠の終の棲家がある。
松尾栗園はそこからすぐのところにある。平家ゆかりの里だ。
時忠の娘が「わらび姫」で、能登の天真庵の近くの「義経の舟隠し」は、兄に追われ、
勧進帳の安宅の関を超え、奥州に逃げる途中に「わらび姫に最後にあいたい」と思って
たちよった悲話の一説。
「わらび姫」で検索すると、昨年の2月に自分で書いたものがでてきた。それによると・・・
「昨日味噌つくりが終わった後、湯豆腐でぬる燗を飲んだ。「惣花」という灘の酒。ぬるめで燗にすると美味い。
鍋には「ギマサ」も入れてみた。昨年の夏に「能登そばUFO」という新作そばにいれた海藻。
ホンダワラの若い芽で、能登半島では「義馬草」(ギバサ)と呼ぶ。壇ノ浦で平家を破った義経は京に凱旋し、不思議な縁で、平家の重鎮、平時忠の娘の「わらび姫」を妻にした。
そして誰もが知るように、その後兄頼朝の嫉妬により、奥州にのがれた、とされる。
その時、平時忠とわらび姫は能登半島に流された。落人になった義経は、最後の別れをと、能登に立ち寄った伝説が能登にはあまたある。「義経の舟隠し」という夕陽が美しい場所があったりする。
ギバサ、とはその時、義経の馬に海藻のホンダワラを与えた、という「義経の馬の草」として、今も能登では呼んでいるのだ。
厳しい能登の冬を連想させるようなギバサをつまみに、ぬる燗を飲む。義経とわらび姫の悲しい話が五臓六腑に涙のように染みるのである。」
松尾栗園の後は「梅茶翁」に、立ち寄る。「能登」という雑誌の最新号に紹介されたこともあり、他府県ネンバーの
車が並び、店内は満席だった。アウトドアの梅林の下で、天然氷をつかった「かき氷」を食べる。
ドリンクメニューには「ほぼぶらじる」もある。ぼくが焙煎した豆だ。最近隠し味に「能登」のもんを使っている。
なぜだか?茨木に住んでいる「そばの御弟子様夫婦」が売茶翁のまわりの枯れ木を片づけていた・・?
そろそろ「能登に移住?」 もくもくと働いている後姿を見ていると、そんな声がした。