近くにそんな公園がある。春になると桜が咲く。
その時、「マンモス」のように高い滑り台の上で告白すると、恋が叶う、という言い伝えがあった。
天真庵の改装を手伝ってくれた「はやしくん」が、「けいちゃん」と、そんな噂通り
のことをして結ばれた。「信じるものは救われる」である。
ふたりは、すぐに和歌山の海辺に移住し、「田並劇場」(天真庵のHPにリンク)を
クラウドファンディングで再興した。家族がふたり増えて今は4人家族。
マンモス公園のすぐ近くに、左隣が「魚屋」右隣が「豆腐屋」という長屋の真ん中に、
知り合いの陶芸家がアトリエをつくった。2006年かそこら。
その時は池袋に住んでいて、「押上」という駅があることも、知らなかった。
九州出身のその陶芸家が「遊びにこんね。よかとこばい」というので、一度酒をぶら下げて訪ねた。
隣の豆腐屋の「やまちゃん」の、「さ~いらっしゃい。今日はアジがうまいよ~」みたいな呼び声に
なつかしさを感じ、豆腐屋の看板が手書きであるのに衝撃をうけ、不整脈か?と思う
くらいドキドキした。まさかの縁で、その町に2007年天真庵を結び、十有余年。「なりゆき」
というか、人生のめぐりあわせの妙は、不思議なものだ。
最近この界隈では、長屋や古い家がいろんな理由で取り壊されている。来年の春に近くにコンピュータ学校と
千葉大の一部ができる。オリンピックイヤーでもあり、東京の不動産は、またバブルのようだ。
天真庵を結ぶきっかけになった、その三軒長屋も、取り壊しの憂き目にあう。
マンションや建売住宅にするほうが、「経済的効果」はあがるのだろうが、失ったものはかえってこない。
どこの町も旧資本主義的な発想で開拓が進行中であるが、何か「滅びに至る」途中みたいに思えてならない。
今日は常連さまの母堂さまの法事が押上の名刹「春慶寺」である。昨年は元気に蕎麦を手繰りにこられた。
その前に「天国への引っ越しそばを手繰る会」のような蕎麦会を承った。ので、
今日の開店は30分おくれの「12時半」とさせてください。「そばや」(そばやの二階)というのは、
いろいろな「歴史」を育んできた場所である。感謝。