延岡慕情

父の墓参りに延岡にいった。
先祖代々の墓が、川べりのお寺にある。
幼きころは、鉄の街・北九州で生まれ育っていたので、
片道5時間くらいの電車の旅は、旅愁というより冒険心
が優先していて、大人になった今でも「ワクワク」した高揚感が
体に残っているような気がする。

日豊本線で「佐伯駅」(さいき 大分県)につくと、「次は延岡」
とにアナウンス。大分と宮崎の県をまたがるこの期間は、当時の電車で
一時間くらいかかり、子供の感じる時間としては、一時間千秋くらい、果てしなく遠く感じ、
着いた時は眠りの中にいた、というのが常だった。

父の父は「植木屋」で、徒歩5分ちょっとの岡富小学校までは、ぜんぶ自分の土地だった、ことを自慢
していた。旭化成の城下町みたいなところで、その会社の偉い人の庭を、やっていたらしい。
大酒飲みで、気にいらぬ仕事は絶対にしない職人気質で、いろいろな逸話が残っている。
親戚が集う席で「あいつは、じいさんにそっくりだ」と、ぼくのことをいう人がいた。
(本人は、仕事を択ばず、どんな仕事も身を粉にしてやってきた自負があるが・・前世は「みお子」だったと信じているのだが)

母親の実家は、植木屋から徒歩5分くらいで「魚屋」をやっていた。もともと四国の宇和島で
「魚の加工業」をやっていて、誰かの保証人になり、破産して延岡に移住していた。
こちらはおだやかなじいちゃんで、魚を酒肴に静かに晩酌をする姿が脳裏に残っている。
最近能登で暮らすようになり、魚をさばく機会が多い。どうゆうわけか、その時に自分の体のDNA
が魚屋の血の中で泳いでいるような錯覚をおぼえることがままある。人、というのは不思議だ。
「自分の人生」に、長い歴史小説のような「ものがたり」がかくされているようだ。そんな意味でも、先祖の墓参り
というのは、気のいい神社にいるような凛をいただく気分にもなる。

そんなわけで、延岡というのは「夏休みの思い出」そのものだ。父が暑い夏に逝ったので、
墓参りも夏が多くなりそうだ。ヘベスのおいしい季節でもある。
父側のお墓の近くに「バー 神戸」がある。そこで飲むウオッカベースの「ヘベスペシャル」は、延岡の歴の味がする。

今日は「順受の会」 松田先生は鹿児島産。「よかにせどん」という種である。
明日は「書の会」 貞本先生は広島産。北九州とどこか似ていてヤクザ気質な街。
水曜日は「おんなかっぽれ」 高口先生は東京下町産。サマーズの三村くんのおばさん。