中里 恒子さんの小説。
「最後の晩餐はどんな食事がいいですか?」と聞かれると、「能登の塩で結んだおにぎり」
かな、と最近思う。最後の恋はどんなんがいい?と聞かれると「時雨の記」みたなん、と思う。
雨が降り続く音を聞きながら、ふとそんなことを思った。三連休で外もでれず、ボーとしている
人におすすめの一冊。
雨が続くので、八百屋のキュウリも少し細くなってきた。
昔から「お天道様のおかげ」といってきたけど、この星に生きるもの、
虫も魚も小鳥やわれわれ動物も、植物もそれの恩恵で生かされている。
都会に生活し、土も雑草もみない毎日の生活で野菜や果物を手にいれるのに
「お金」で買う生活が当たり前になると、「自分が働いた金で買った」気分になる。
でも、よくよく考えてみると「天の恵み」をちょうだいしているのである。
肥料も除草剤も使わず、「辛味大根」が15本くらい収穫できた。
「ざるそば」はもちろん「梅おろしそば」にも添えてだしている。
「不耕」な人生を60までおくってきたのは、不幸だとつくづく思う。
お金では換算できない「ゆたかさ」を実感している。
「焙煎」「そば打ち」は、毎日やっていても飽きないし、誰にも渡したくない「コト」
だけど、「畑仕事」といいのは、その筆頭にきて、3つの「コト」がライフワークとして
しっかり定着しそうな感じがする。
昨日は能登から三輪福さんが蕎麦を手繰りにきた。ぼくのそばとお茶と珈琲の
お弟子さまで、能登に4年前に移住し、梅林や畑をしながら「梅茶翁」
という終末カフェをやっておられる。舞踊もやり、先月はヨーロッパ、今月も
宮津のお祭りで舟の上で舞う。今年は田植えもしたらしい。梅茶翁のある
土地は「瑞穂」(みずほ)という。まさに八十八の手間をかけてつくる「お米」の
由来したような土地名。今は「ペチカ」を、仲間たちとつくっておられる。
「持続可能な・・・」とか「なるべく化石燃料を使わず」とか「エコ」とか「環境」云々が
いわれているけど、都会にいると、それらがむなしい標語である、と痛感する。
「ときどきは外を見る」
自然にふれあう「コト」をすると、「生かされている」不思議さに感謝したくなる。
今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」
蕎麦打ちというのは、都会で準備できる「田舎暮らし」の訓練だと思う。
南島原に移り住んだ「なつきくん」の引っ越し祝いに、「蕎麦道具」をおくり、
何度か蕎麦会をやった。ぼくのブログの写真は廃校になった南島原の小学校でそば打ちを
した写真。最近、大阪から移住した若者が民宿をしながら、そばをだしはじめた、とのこと。
思わず誤嚥するくらいびっくりしたけど、ご縁である。
明日は「卵かけごはん」 ライブがあるので16時閉店。