銀ブラ

水曜日が「梅仕事」の千秋楽。
今月1日に能登から運んできた100kの梅が、あまたの人の「手」によって
、梅味噌や梅シロップや梅干しになってそれぞれの「家」に嫁いでいった。
梅は「健康の常備食」であり「健康保険」みたいなものだ。続けると
「美人貯金が満額」にもなる。そんな人がいっぱいいると人口が減っても
素敵な国になる。

その夜は少しおそめの収穫祭よろしく、銀座のサンボアで飲んだ。
昔は夜に遊びにきて、すってんてんになって帰った町。最近は
もっぱら昼に銀ブラをする。骨董屋を徘徊するのが好きなので、
やはり財布はからっぽ、もしくは借金をして帰る日も多い。
ま、その「戦利品の記念館?」が能登の家になった?
有楽町界隈の古くからある「町の中華屋さん」みたいなとこで、ゆっくりビール
と餃子なんてやりたい「夢」をもっているけど、いつになることやら・・・

昨日は朝から焙煎をしていた。誰にも教えたくないけど、教えたくなるような「焙煎のコツ」
を最近発見した。「人知れず・・」というのは、男と女の関係と同じように、
けっこう幸せな「こと」でもある。
そんなこと思いながら仕事を続けていると、お店の前に自転車の音。
おかまのMくんだ。「あ~ら、今日は特別男らしい焙煎の香りがするので、つい・・・」
もしかしたら、新しい焙煎方法のことを気づいているのかも知れない。
あがったばかりの豆を石臼でひいて、試飲させてみた。
カップをもつ右手の人差し指をたて、「高倉健みたいな珈琲になったわね」とのこと。(ほめすぎ)

Mは不思議な能力があって、梅仕事が始まる直前に「100年の梅仕事」という本をくれたり、
改装中の二階を見て、「ここはお花の教室」とひらめき、原田先生の道場ができたり、
一歩先を見通す「何か」をもっている。能登にいき、畑をやるようになってから、ことあるごとに
読み返す本がある。松井浄蓮さんの本。比叡山の近くに住んで、自給自足の「麦の家」をつくった仙人みたいなひと。
この本も能登へ軸足を移そうとした時にMがくれた本。
開店中にお店にくるのは、年に2度くらいだが、閉店中に、いろいろな物語がうまれている。

(その本の中を少し紹介)

末子の六つになる娘を伴れて京都の河井寛次郎先生をお訪ねし山に帰ってから、
「京都の街、きれいでよかったね」と、何の気もなしにいうと、
「うちの方がええ、京都は狭い」と、妙なことをいう。
  牛舎の隅にまがってやっと起き臥ししているこの暮らしに較べて
、どうして彼の大きな家の並んでいる街が狭いというのか、合点がゆかぬと顔を見ていると、
何やらしきりと、まばたきして考えていたが、「承子ちゃんのところでは、どうして茄子や胡瓜
を作らはるやろうか」と、心配そうな顔をして聞く。えらいことをいい出したと思っていると、
その次に、「承子ちゃんは草履(ぞうり)をどこで作らはるやろうか」と重ねて、思案顔でいう。
そして数日後のお昼過ぎ自分が家をでようとすると、「この草履、承子ちゃんにもっていってあげて」
と、ちと困ったかたちの自作の草履をだした・・・・(略)献身愛語、作務工夫と、この根というか
芽生えというようなものは、人間本来の「天真」として、もっているもの。そしてまた人為的なものまで詰まって
しまっている京の街を、「狭い」とみた自然児の表白にも、菊すべきものがある。