「世の中は 澄むと濁るの違いにて」

昨日カウンターに同郷の女子(おばさん)が座った。近くに住んでいるシャンソン歌手。
「これなつかしかろ?」と九州弁で聞くと、「いや ほんなこつ はったいご」とのたまわれた。
嘉穂劇場のある嘉穂(かほ)が彼女のふるさと、そちらでは「はったいこ」に濁がついて「はったいご」
というらしい。「砂糖とまぜて、咽(むせ)ながら食べた」とのこと。昭和30年代の子供たちの原体験は似たり寄ったり、はったいこだ。

「世の中は 澄むと濁るの違いにて」 ・・・を思い出した。

そんな話を聞いていた若い女子が帰り際に「私は香川の観音寺出身なので、はったいこ、は小さい
時におばあちゃんが飴とまぜておやつに食べました」とのこと。
どの村でもはったいこは、「村の粉なものの王様」だったに違いない。
今月から新メニューに「あんこはったいこ」をつくった。これまでの「あんこガレット」の生地にはったいこ
を入れたものだ。

今日は日曜日なので16時まで営業。
今日は蕎麦打ちはなし。かわりに「そったく焙煎塾」 日曜しかこれない女子が「どうしても勉強したい」
ということで入門を許す。「条件は、石臼を自宅におくこと」といったらまじめな顔して「そんなひといるの?」
といった後に、ケラケラ笑っていた。
麦や雑穀を「こがす」というひと手間で、まったく別ものができる。
珈琲豆を焦がす・・・山火事で偶然に焦げた珈琲豆を🐵(or鹿)が食べて、陽気に踊っていた、がルーツという説がある。
「幸せなひと手間」。そして穀物を機械がない昔は、みな「石臼」で挽いた。その「ひと手間」をやると、やらないの世界
には、大きな大河が流れていると思う。家に「石臼」運動。

濁点があるとないの世界も大河が流れている。昔からある言葉遊び

「世の中は 澄むと濁るの違いにて」 「刷毛(はけ)に毛があり 禿(はげ)に毛がなし」
「世の中は 澄むと濁るの違いにて」 「福に徳あり 河豚に毒あり」

はかとばか  とか いろいろある。

明日の朝は「卵かけごはん」