ビールで功徳?

まだ5月だというのに、真夏のような猛暑が続く。
やはりなんといっても枝豆とビールがほしくなる。

今月のはじめに大豆の種を蒔いた。種の袋には種まきは6月から7月
と書いてあった。枝豆は知らない人も多いと思うけど、大豆の若い豆である。
少しはやめの種まきだったけど、夏はそれよりもまだ早く勝手にやってきた感じ。
今は冷凍の枝豆など、季語を無視した食材だらけだけど、「季節のものを食べる」
というのは、体にとっても大事だと思う。

昨年からビールをやめて、白ワインや焼酎を炭酸で割るようにしている。
それだけで、夏のビール腹をだいぶおさえることができる。
もちろん、友達んちなどでだされたら、一杯くらい飲むけど。
ビールは高校くらいから飲んでいたけど、そのころ都市の商業ビルやデパートの屋上
はみな「夏はビアガーデン」みたいやった。
昭和のあの時代は、「喫茶店」や「ビアガーデン」にいくのが、なんであんなに楽しかったんやろ。
今より貧しい時代やったけど、みんな「夢」を語りながら生きていけた時代やったんだろう。

加川良の「下宿屋」というのがある。京都にあった高田渡の下宿屋が舞台らしい。
貧乏しながらも、二度とない青春を謳歌しているようで、ときどき「ゆーちゅーぶ」で聴く。

昭和50年はじめ、京都・仁和寺の近くに、ひごもんずが一階ずつ3人住んでいる古色蒼然とした3階建てのアパートがあった。
一番最上階の稲盛君の部屋は、6畳の間がよっつ、田の字になっていた。広いので、みんなの「たまり場」になり、
よく徹夜で酒を飲んだ。
♪三畳ひとまの小さな下宿・・・ではないけど、3畳か4畳半ひとつがそのころの学生のだった。

ある日の昼さがり稲盛くんから仕事場の喫茶店に電話があった。「さきほど、河原町のビアガーデンで東京からきた女子大生を3人ナンパしたばってん
、どげんしたらよか?。今晩うちで飲むことになった」とのことだ。
「とりあえず、銭湯にいって体をきれいにしたら・・・」と答えた。すぐに下宿生3人で銭湯にいったらしい。近くの友人も
なにかを期待していっしょに銭湯にいったとか。
仕事が終わって、車を走らせ、仁和寺の近くの彼らの下宿を訪ねた。
普段は熊本の焼酎「六調子」など、少し匂いのきつい焼酎を、パンツ一丁で飲んでるやつらが、襟付きのシャツ
なんかきて、きどってビールを飲んでいた姿を見て、ふいに噴出したくなった。

東京のシティーガールズたちと、京都の山猿のようなバンカラな男たちとは、なんのロマンもおこらず、
「あの夏の日」にも「夏の日の恋」にもならなかったけど、ときどきビールを飲むこの季節になると、
「あの日」のことを思い出して、ついニヤリと思い出し笑いをすることがある。

今日は「順受の会」。四半世紀続く「論語の会」
先生は「よかにせどん」のかごんまの人。肥後もっこすと同じく、気骨ある人らが多い。
みんな最近は酒量も減って、静かに飲むべかりけり、の境地に達する感があるけど、
始まったころは、みなハチャメチャだったような気がする。飲んで口論になる、は茶飯事。
ときどき殴り合い、というようなシーンもあった。♪それも これも青春!

月曜の朝は「卵かけごはん」
二階は「満つまめの会」

明日は「書をしようかい」

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