森進一の歌にそんなのがあった。
天真庵がはじまったころ(平成7年)、南條先生の家がある今治に寄り、八幡浜からフェリーにのって
別府に渡り、福岡の実家に帰る、という里帰りをよくやった。八幡浜にはトラックもいっぱいあり、
「四国のさいはて」という旅情がよかった。しかもそのころはチワワの元気がいて、客室には入れなかった
のでゲージに入れてデッキに座って、海を渡った。冬の寒いときは、元気をゲージからだして、バスタオルに
くるんで暖をとった。さながら「命からがら」の帰国船のようだった。
今は吾妻橋にある「塩パンや」さんが、八幡浜にあり、その店を中心ににぎわっている。
昨日書いた「伊予水軍」たちが基地にした港が松山の近くにある。「三津浜」という。
河野水軍などの伊予水軍のころからにぎわい。藩政時代には海運の要所として栄えた。坂の上の雲の「秋山兄弟」も
「正岡子規」も上京する時につかった港である。江戸時代から続く古い町並みや明治のモダンな洋風建築など時代を超えた建物が混在していて、最近は若者たちが町のあちこちで古民家をリノベーションしたショップやアトリエをオープンさせている。近所にいる「おっさ」や「ぬすみぐい」くんたちもときどき、遠征してイベント
に参加する。今回はじめて「三津浜」に立ち寄った。ひと時代を超え、置き忘られた感がある街が、若い人たちによって蘇る。そんな街が好きだ。
中国人観光客の騒音もなく、ゆっくり散策できるところ。
昨日は「ダメから始める中国語」だった。ぼく以外は女性。しかももみな健啖家で酒豪ぞろい、ときている。
昨日は「電気ブラン」の差し入れがあったので、四国の冷えた「はだか麦茶」をチェイサーに飲んだ。
誰かがトイレにいって、「真民さんの日めくりカレンダー」にビットがたった。
「真民さん」の説明をしながら、「はったいこ」を試食したら、また盛り上がた。あいにく「はったいこ」は完売で在庫なし。
月曜日に入荷する、といったら、「じゃ、月曜日にはったいこを買うついでに、論語の会にでる」とのたまう女子が・・・
たぶん、酔った勢いだと思う。ちがう会でも、「次の会は、能登でやろう」と盛り上がったけど、みんなまだバリバリの現役だったり、
子育て世代で、「計画練り直し」になった。
「いきなりステーキ」よろしく「いきなり能登」じゃ、大変だからゆっくりいこう、と返事をしたら、「密かに抜き打ち能登を計画中」
とメールがかえってきた。どの会も「女子が元気」だ。
本日のトイレのカレンダーの言葉もいい。
どんなに 私を苦しめる人をも
すべてをゆるすまで
広い心を お授けください 真民