おなごが好むもの「いも たこ 天真甘栗」

火曜日は「書の会」だった。
先生が、黄檗ものの掛け軸をもってきた。黄檗山のお坊様が書いた書だ。
煎茶の世界では、好んで茶会の時に掛けられたりする。
書家の書というのは、書家という窓枠からはみでることができない、
窮屈なGパンの中で縮こまったペニスのようで、自由がないし、感動することはあまりない。
(そんなことをいうから、先生とは飲むとケンカになる。)
お坊様の書というのは、説教臭いものはイヤだけど、枠からはみでたヨサがあるものもある。

水曜日は「満つまめの会」と「おんなかっぽれ」
かっぽれは、なかなか体を使う踊りである。おとこかっぽれもおんなかっぽれの連中も
ほとんどが「満つまめの会」(まーくんの気功整体)のメンバーでもある。
そばのお弟子様が小布施のワイナリーがつくった日本酒を差し入れてくれ、
それを飲みながら、小布施、栗、成川さんの「おぶせびと」の話題で盛り上がった。
あたり前だけど、「おんなかっぽれ」の日は、男はわたくしひとり。
みんなはじけて、アホになった後に、蕎麦会をやるので、女子風呂にひとりいるような風情(これが風情かどうかはわからん)がある。
井原西鶴の時代から、おなごの好むもの「浄瑠璃 芝居 いも たこ 南京(かぼちゃやくり)」に変わりなし。
突然の話だけど、「能登栗の焼き栗棒」が天真庵でも販売することにあいなった。別名「天真甘栗?」 連休前にやってくる。

今日は仕込みが終わった後、神保町にいき、古本屋を徘徊。
中川一政の「いのち弾ける!」ほか、右肩がはずれるくらい買ってきた。
中川・・・の絵もいいけど、文がおもしろい。「腹の虫」は、秀逸なエッセー。(誰かに貸したままだ)
毎年、隅田川のウンコビルの近くのアビアントで、文人の書の展覧会がある。
友達の生井さん、書の先生の貞本さんら、生きている人たちに交じって、黄泉の国在籍の人たちの作品もでる。
一昨年に中川一政の書がでた。世阿弥の言葉を、彼の不思議な文字で揮毫していた。

じょうずは へたのてほんなり
へたは じょうずの てほん也   世阿弥

どの道にも通じることだ。さすが・・

「門の中に入っているのが専門家」「はいって出られないのが専門家」(中川一政)

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