ゆーちゅぶで「下宿屋」で検索すると、京都のよき時代を彷彿させる加川良の名曲「下宿屋」
を見ることができる。
♪京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋はふるえているみたいでした・・・
ぼくが昭和51年に住んでいる下宿屋は、松ヶ崎というところにあった古い一軒家だった。
窓から「宝が池自動車学校」と「ノートルダム女学院」が見え、そのガラス窓に植木があって、メジロとか
シジュウカラなんかが遊びにきていた。二階には岡山出身の京大生がいて、現役で司法試験に合格し、
酔うとぼくの部屋にきて、「民法はこのダットサンをしっかり読め」とか「おまえの大学の総長・末川先生の権利の乱用は・・」
とか、難しい話を岡山弁でまくしたてた。そして最後にいつも「おまえもしっかり勉強して弁護士になれ」
が口癖やった。「下宿屋」をときどき聴いてみると、そんな昔のことを思い出したりする。
ぼくの朝の散歩コースは、深泥池(みどろがいけ)まで歩き、そこから坂をだらだらあがって、圓通寺界隈を
ぶらぶらするのが好きやった。その坂をのぼったあたりに、陶芸家のアトリエがあった。そこに遊びにいくように
なったのが、いまのような生活をする道につながっているように思う。
平成7年に「天真庵」というギャラリーを池袋に結び、翌年にその陶芸家の陶芸教室に通っていた「富夢さん」
こと野村富造さんを紹介され、毎年「染めもん展」をやるようになった。2011年に富夢さんが風のように
旅立たれ、バトンタッチするように河野夫妻がそれを紡いでくれ、平成から令和に変わるここまで、
20年くらいやっていることになる。歳月人を待たずであり、光陰矢の如しでもある。
河野さんはぼくと同じ年。京都造形短期大学(いまは4年生)の一期生である。
ルーツは九州の海賊の「河野水軍」らしい。そんなこともあり、能登の天真庵の話を
すると目がキラリと輝く。夏のTシャツは河野さんのをよく着る。
よそ行きの作務衣は、「こんなのつくれへん?」と注文してこさえてもらったものだ。
これから隠居は無理としても、スローライフを目指している人は、彼の作る「作務衣」(さむい)
はいいよ。
♪京都の秋の夕暮れは作務衣なしでは寒いみたいで (ちょっと寒い?)
今年は、和服の生地で、「ペットの洋服」も並んでいる。
元気(ちわわ)が生きていたら、おそろいの浴衣の生地で作ってもらって、江戸のダウンタウンを
いっしょに散歩できたのに・・・なんてことを思ったりした。既製品を6枚くらいもってきて
いるけど、オーダーメイドも承るらしい。着物といっしょに作って、深泥池を散歩・・・
京都道の大学院コースみたいなもんやな~。木屋町あたりは「ニセ舞妓さん」や「なんちゃって着物美人?」
がそぞろ歩きしてはるけど、やはり日本人らしく「ちゃん」と着こなしてほしいもんやね。
そめもん展 ”京の染工房 河野染色工芸スタジオの仕事”
◇こうげいヌーベルバーグの作家小物も販売いたします◇
19日(金)16~19時
20日(土)13~19時
21日(日)13~19時