じゅっとくさんに、枯葉をもらう

♪枯葉よ~

昨日の深夜、能登から無事もどってきた。
相変わらず、寄り道人生。大泊(おおどまり)という土地名にひかれ、車を海沿いに走らせ、あるお店へ。
海の先には、立山連峰が雪を冠にして光っていた。昔、IT企業をやっていたころ、黒部に取引先があり、
そこの社長が「ここにずっといても、立山連峰が見える日は少ない。しかも見えた次の日は、きまって雨」
だといっていた。

「なら、一緒に登ろ」と、ふいに酔った席でいってしまい、そこの社長と、5年くらい毎年
立山を登山した。今から思うと、ちょっと間違えたら死ぬ・・そんなところもチャレンジした。
「バカげのいたり」だ。でもそのころはお互いに「立山しかのぼらない登山家になろう」と真剣に
話していたことが、懐かしくもあり、若かったと思う今日このごろだ。

今朝は6時過ぎに置き、少し仕込みをして、近くの香取神社に参拝。
いつものように、宮司さんたちが、落ち葉を箒ではいていた。
「箒をもった人」はみな拾得(じゅっとく)さんだ。筆を持った相方が「寒山」
「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)・・・京都なんかにいくと寺の襖絵とか、茶室の軸
に、ふたりの「ぼろ」を着た構図の絵を見かけることが多々ある。
「あ、寒山拾得だ」といえても、その実、その絵が何を表わしているのかわからない。
平成7年から、ずっと「寒山拾得」の絵を飾り、最近は能登に「寒山拾得美術館」までつくったけど、
まだまだ初心者マーク。でも「足るを知る」というのが彼らの役目ではありませぬか?
「知足」。いうは安き・・・安来節より難しい?

思い切って、箒の宮司さんに・・・
ぼく「この葉っぱくれませんか?」
拾得さん「?」
ぼく「能登の家のコンポストトイレに使いたいのですが・・」
拾得さん「???」
でも、結局一袋もらった。迫力勝ち?(大きな50Lくらいな袋)

それをサンタクロースよろしく天真庵まで担いで歩く。途中小学生たちがそろって登校していた。
横断歩道を誘導して渡らせる近所のおっちゃんが「それ何に使うの?」
と怪訝な顔して問う。新しいランドセルを背負った「ピカピカの一年生」が堂々と歩道を渡る。
ぼくも黙って、背を伸ばして、手をあげて、横断歩道を渡った。
ぼくもピカピカの一年生。百姓入門生、田舎暮らしの一年生。

寒山詩を残した寒山を、「文殊菩薩」の化身だと日本人は思ってきた。
典座(てんぞ)のように、箒を持ち、厨房に入る拾得は、「おまけ」みたいな存在やった。
拾得は、何も残さなかったけど、「普賢菩薩」の化身だと日本人は信じてきた。
大塚の「江戸一」をこよなく愛した高橋義孝先生は「寒山拾得を知らない日本人は日本人じゃない」といわれた。

でもよくよく考えると、何も残さない拾得のほうが、おもしろい。彼らの師匠・豊干禅師が「本来無一物」といわれた。
「いくら残した」・・・なんていうのが少し前の日本人がよく口にした価値観。
「いくら残した」よりも「何に使った」というほうが価値がある、そんな時代にシフトしそな時代。
できたら、「陰徳」ではないけど、「人知れず、誰か人のためにお金を使った」人に拍手をしたいし、
何も残さず、死んでいった人に「いいね」をおくってあげたい、そんな時代が「令和に迎えられたら、いいね、」と思う。

一代では何もできないけど、「何をしようとしたか」が大事なような気がする。