またまた一楽

北九州の引野小学校の演劇部の同窓会を横浜の蕎麦屋でやった。
ぼくのあだ名は「のんちん」。小倉あたりで珈琲屋をやる時があれば「珈琲 のんちん」
にしようか、と密かに思っている。
「まっちゃん」と「まったい」という、松を冠する苗字のふたりの竹馬の友と、
昔の話をつまみに、そば前の田酒を酌み交わした後、〆のそばを手繰った。「またまた一楽」
用事でこれんかったけど、「すえくん」も同じ演劇部。衆議院議員の末松義規くん。

演劇部の先生は「福田先生」。国語の先生。この先生の授業で「起承転結」の代表作、
ということで、頼山陽の詩を黒板に書いた姿を、映画か演劇を見たように、鮮明に覚えている。
大学を京都にしたのも、その後煎茶を学び、お茶の教室までやるようになったのも、先生のおかげだ。
(頼山陽の書斎の「山紫水明どころ」(京都)というのが、煎茶をする空間のしつらえの模範みたいになっているし、
大分の田能村竹田との書簡「亦復一楽帖」が、煎茶の精神の最高峰になって国宝になっている)「お茶を飲む またまた一楽」

京都三条の糸屋の娘(起)
姉は十八 妹は十五(承)
諸国大名は弓矢で殺す(転)
糸屋の娘は 目で殺す(結)

北九州の運動会の「騎馬戦」は「川中島」という。信玄、謙信の地元ではなくなぜ?
これも頼山陽先生のファンが教育委員会かなんかにいたのだろう、と勝手に思う。

頼山陽の漢詩の一節「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る」は、川中島 の戦いで上杉謙信が秘かに千曲川を静かに渡る様子を表わしている。
最近は、芸のない政治家が「しゅくしゅくと」とかいって、言い訳にならぬ答弁に使われることが多いけど、
昔は、詩吟をする大先輩が、騎馬戦の時に大きな声で、これを吟じた。向田邦子さんは「おなかをこわして、便がゆるくて、しゅくしゅくと音がした」
と想像していた、みたいなことがエッセーにあった。こちらのほうがおもしろい。
大分の耶馬渓(やばけい)も頼山陽が命名し、南島原の「青一髪」という焼酎も彼の漢詩から命名された。

四季折々の季節を楽しみ、茶やお酒と人と自然を愛し、日常のささいな出来事に「またまた一楽」という風雅を見つける。
先人たちの生きざまには、学ぶこと多し、である。

橘曙覧の独楽吟 というのもいい。「楽しみは・・・」から始まる詩。

楽しみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時(橘曙覧)

生きているうちに「楽しみ」をいっぱい見つけたいものだ。「これまた一楽」

明日は国貞雅子のライブがあるので16時閉店。音楽を楽しむ「これまた一楽」