みんな明日から生まれ変わる!

今日は平成の千秋楽だ。

昨日はそばのお弟子様が「引っ越しそば」を打ちにきた。
先月にお父様が召された。いつもは、打ったそばを、
お父さんちと自分ちに分け、そば汁も半々でもってかえっていた。
「親死ね 子死ね 孫死ね」と、仙厓和尚は揮毫した。順番にいくのがよろし、という意味だ。
でも順番通りにいくか、とか、どのように逝くか、というのは、神のみぞ知る世界だ。

昨日の夕方まじかに、「引っ越しそば」を食べに、7人のお客様がやってこられた。
力仕事の最中で、若い人ばかりで、おかわりを所望されたけど、ちょうど7人でそばが終わった。
「隕石直売所」の人たちだ。昨日と今日で押上から東銀座へ引っ越しをする。
時代の変わり目というのは、「これから活躍する人」が忙しそうに動いている。
押上には、束の間しかいなかったけど、この星で出会えたことに「感謝」。「うめ星」が生まれたきっかけのお店。
これから地球に住む人たちをたくさん救うであろうグッズ。

そして、今日で「平成」が終わり、明日から「令和」だ。

お店のそばもチーズケーキも・・・・冷蔵庫の中の食材も、昨日はほぼ空っぽになった。「能登の焼き栗棒」も残りわずかになった。
片づけが終わって、剣菱を燗にして飲んだ。鍋に「がめに」が少し残っていて、冷ややっこと卵焼き、ささみときゅうり
の梅味噌あえ、うめ星(隕石玉)を入れた糠味噌のきゅうり、が酒肴。

音楽は成川マサノリの「REBORN」。みんな明日から「リボーン」で生まれ変わる。
10連休で時間がたっぷりある人は「ナルちゃん」が音楽を担当した映画「おぶせびと」と「おだやか家」
をゆーちゅーぶで見てほしい。そういえば、新しい天皇さまのあだなも「ナルちゃん」やね。

リボーンの一曲目が「虹の旅立ち」
チワワの元気が旅立った時、ピアノのまわりが祭壇になり、たくさんの花が手向けられた。
花を持ってきたある女性が「犬はなくなると虹の橋を渡るんですよ」と教えてくれた。
さきほどネットで調べてみたら、素敵なこんな詩を見つけた。犬も「生まれかわる」らしい。

虹の橋

原作者不詳      

日本語訳:ふくふくやま

天国の少し手前に、「虹の橋」と呼ばれている場所があります。

この世界で生前、誰かと寄り添い、暮らしていた動物たちは、
その命の灯が消えたとき、「虹の橋」のふもとへ行くのです。

そこには、草原や丘が広がっていて、
動物たちはそこで駆けまわり、
ともにじゃれあって、楽しく遊んでいます。

おなかいっぱいのごはんと、きれいなお水、
そして優しい太陽の日差しに溢れていて、
みんながそのあたたかな場所で、のんびりと暮らしています。

病気にかかっていた子も、年老いた子も、みんな元気を取り戻し、
傷の痛みに苦しんでいた子もすっかり健康なからだを取り戻し、
昔のように、そしてまるで夢のように、そこでは過ごしているのです。

動物たちは幸せに暮らしているのですが、
たったひとつだけ、心を満たしていないことがあります。
それは、かつて共に過ごし、愛し合い、寄り添っていた人が、
ここにいないことが、恋しくて、寂しいのです。

動物たちが一緒に遊んで、駆けまわっていたある日、
ある子がふっと立ち止まり、遠くを見つめていました。
その子の目は、次第にキラキラと輝きだし、よろこびで震えだします。
突然、その子は仲間から離れ、草原を飛ぶように走っていきます。
速く、速く、それはまるで風のようです。

その子の視線の先にいたのは、
共に過ごし、愛し合い、寄り添っていたあなたでした。

その子とあなたは、虹の橋のふもとで再び出会います。
あなたは、愛するわが子を抱きしめ、愛情いっぱいにふれあい、
二度と離れることはありません。

あなたは満面の笑みで幸せにあふれたキスを受け、
もう一度、愛するわが子を抱きしめるのです。
そして、わが子の顔をのぞきこみ、見つめあっては、語りかけます。

きみと別れてからの長い長い人生を、
私は一生懸命生きてきたよ。
その中で、きみを忘れたことは一度たりともなかったよ。
やっと会えたね。

そしてあなたたちは寄り添いあって、
共に天国へ続く虹の橋を渡っていくのです。

栗が3年でなく、三日で大盛況!

ゴールデンウィークは、気温があがらず、
少し寒い。おでかけの人は、「何着ていこか」がけっこう大変やろね。今晩から東京は雨?
今日はこれから卵かけごはん。
ごはんを焚く前に、炭火をおこし手あぶりにいれる。

昨日と今日は二日続けて「満つまめの会」と「蕎麦打ち教室」がある。

昨日の満つまめにの会にさっちゃんがきた。25歳のニコニコりんごのような顔を
しながら、「私会社をやめました」という。「令和が来る前に、さっぱりしようと思って・・」とのこと。
晴天の霹靂みたいだけど、けっこう天真庵まわりでは、多い気がする。平成は明日までやけど・・・
「平たく成る」の願いをこめた時代だったけど、いろいろな矛盾があらわれ、既存の価値観が壊れ、
いろいろな組織が崩壊し・・・・という意味では、「壊れて平に成っていく」、というのが顕著になった時代だったかもしれない。

ひょんな「縁」で能登の栗園と知り合いになり、「能登の焼き栗棒」が天真庵で売られるようになった。
3日で60本以上が売れた。「天真あま栗店」という看板を作ろうか?などと思っている(ウソ)

「桃栗3年柿8年 柚子のばかたれ18年 林檎ニコニコ25年」(女房の不作は60年 、と入れるものもある)
田舎暮らしをする時には、柚子がある家に住もう、と思っていた。でも2年前に柚子胡椒を作ることになり、湯河原のみかん農家を
マツキヨさんに紹介されたので、これはクリアした。栗は車庫の畑のところにある。でも「松尾栗園」と出会ったんで、
なんか不思議なページがめくられてきた。3日で「能登の焼き栗棒」が下町で評判になってきた。だから人生はおもしろい!

閉店近くにオールドフレンドが来店。いよいよ定年が近くなったので、実家の九州で暮らそうと思う、とのこと。
風光明媚で、移住してくる人も多い熊本。実家から歩いて徒歩3分に温泉。実家は100年以上の古民家。
「そばやでもやりますか?」というと、まんざらでもない笑顔で「そやね」と答えた。
100人いると、100人の「令和の暮らし」がある。ぼくはしばらくは「能登と東京の二股暮らし」
あとは、成り行き 風まかせ

冬みたいな天気 天真庵は栗の収穫祭

昨日は「てあぶり」に炭火をおこして、成川マサノリさんのライブ。
能登から「能登の焼き栗棒」がきたので、昨日は朝から「栗 栗 栗」の
一日でもあった。栗で有名な小布施の映画「おぶせびと」の音楽を
担当した成川さんのつま弾くギターは、あたかも「栗の収穫祭」の風情があった。

新しいCDがでた。昨年還暦を迎えた「なるちゃん」(中学時代からのあだな)が、
それを記念して「REBORN」をつくった。リボンではない、リボーン、
つまり還暦を「生まれ変わり」というイメージでつづった。
ニュアンス的には、あとはおまけ。おまけの毎日は、「一日一生」みたいに
生かされている、に感謝する。そんなメッセージをこめた曲が多いような気がした。
彼のHPからも注文できるので、「ね!」と思ったらぜひ買ってみて。きたるべき自分の「家族葬」
の時なんかに聴いてもらうと、「いいね!」が会場をこだまするかもなんばん。

還暦を超えようが、余命宣告されようが「ね!」という感動があれば、「生きている」
「音楽はいいね!」「気のおけない仲間と食事をするとうまいね!」「この絵はいいね!」
「君はかわいいね!」素晴らしいCDだと思う。

8月25日に福岡県宗像市の「鎮国寺」でなるちゃんのライブがある。
わたくしの家の菩提寺。昨年の夏は父の具合が悪かったので、いけなかった。
弘法大師が高野山を開く前に建立した名刹。昭和50年くらいに父がへそくりを寄付
したので、そんなことを刻んだ石が境内にたっている。

「おぶせびと」を見ると、「村おこし」というのは「ひと」が大切だということがよくわかる。
「他人のひと」ではない。「わたし」の問題や。

今日は日曜日なので16時で閉店。それから平成最後の「蕎麦打ち教室」
明日の朝は「卵かけごはん」

能登の「まいもん」の王様、「能登の焼き栗棒」が本日から発売!

今日は、「おぶせびと」の音楽を担当した成川さんのギターライブ。
東京から能登にいく時、親不知海岸あたりが、20個?くらい連続でトンネルがある。
そこまではNHKFMを聴きながら車を走らせる。そのトンネルの中には、FM電波が届かない
ので、CDをかける。

能登の里山里海の景色が見えてきたら、成川さんの「おぶせびと」を聴くことが多い。
自然に恵まれた小布施で生きる人をテーマにした映画の音楽だけど、能登の自然にもあう。
ゆーちゅーぶで「おぶせびと」が見れるので、連休で家でブラブラして退屈な人にもおすすめ。

小布施は、北斎の天井画があり、墨田区とも縁が深い街。「くり」もおいしくて、
人口10万人の町に、年間100万人の人が観光にくる。すこしオーバーツーリズムな感じ
もするけど、そんな土地だ。江戸時代に江戸から絵師を呼んで、絵をかかせる、という
「パトロンイズム」が素敵で、それが今でも残っているような土地だ。
「えらい人がでたとこ」は、その土地に土着霊のように文化が根付いている。

能登にもすごい栗園がある。「松尾栗園」。今月はじめに出会い、意気投合
して親戚みたいな関係になった。奮闘記が、ブログで語られているけど、栗の妖精に
導かれて能登に移り住んだ素敵なご夫婦。
昨日「能登の焼き栗棒を発送しました」というメールがきた。
天真庵のお客さまは「がんばっている人に拍手」をする人が多く、試食も
していない「能登の焼き栗棒」にすごくいっぱいの人が予約注文してくれた。

これから田舎に移住する人は「一次産業を六次産業にする」ことがポイントのような気がする。
「松尾栗園」はその典型的なパターンである。
人と同じことをしてもおもしろくない。「自分ができること」を自分の縁ある場所で
実現していくほうがいい。見方をかえて味方を得ると、「田舎くらしは宝でいっぱい」なのだ。

ひとのいく うらに道あり 花の山

今日はライブがあるので、16時で閉店。

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

令和の囲炉裏

昨日の夕方、あだちくんが、頼んでいた囲炉裏をもってきてくれた。
ほんとうは、能登の冬のために頼んだのだが、彼がうれっこで、ねこの手
を借りたいくらいなので、昨日完成した。

お店の外にも、「めだかのプール」として使っているけど、この界隈の古い
民家が壊される時、伊万里か有田の火鉢が必ずでてきて、「よかったら使ってください」
と天真庵にもってくることが多かった。たぶん20個くらいは、いただき、あげた。
「断捨離」というのがはやっているけど、「捨てたくなるようなものは買わないほうがいい」。
昔の家にあったものは、ほんとうに、いい、ものが多い。

それには、縁(へり)がない。暖をとる、を最優先した用の美。
そこで、能登の倉庫にあった「あて」(能登ひばの最高級の木材)の廃材をもってきて、
縁と足をつくってもらった。簡単にいうと、囲炉裏とちゃぶ台を足して、二で割ったようなものができた。
天井から自在をぶら下げると、新しい形の囲炉裏になる。椅子のかわりに、曹洞宗の禅寺で使う
「座布団」にしようかと思っている。座禅をした後、囲炉裏のまわりで車座になり、たら汁でも
食べながら一献・・・冬の能登にぴったりの風景。

古い家を掃除したり、改装したりして住む、ということを能登で実験中。
「あて」で作られた伝統的な能登の住宅。和室の4部屋が「田の字」になっていて、
仏間、客間、仕事場、台所・・・などに変幻自在に変化できるような工夫がある。
仕事場であり、冠婚葬祭やお祭りの場であり、お祭りなどのハレの日には、村の人が集まる集会所
のような場にもなった。

そこに都会から気に入った家具を持ち込むのは、少し抵抗があり、「そこにあったもの」とか
「古いもの 廃材などをつかって」、そこに昔からあったように、鎮座させる、とうのを
モットーにしている。だから思ったよりも時間がかかるし、死ぬまで完成しないかもしれない。
家というのは、それでいい、と思う。

今日は「ダメ中」

明日はライブがあるので、16時で閉店。

27日(土) 成川正憲ギターライブ

演奏:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

おなごが好むもの「いも たこ 天真甘栗」

火曜日は「書の会」だった。
先生が、黄檗ものの掛け軸をもってきた。黄檗山のお坊様が書いた書だ。
煎茶の世界では、好んで茶会の時に掛けられたりする。
書家の書というのは、書家という窓枠からはみでることができない、
窮屈なGパンの中で縮こまったペニスのようで、自由がないし、感動することはあまりない。
(そんなことをいうから、先生とは飲むとケンカになる。)
お坊様の書というのは、説教臭いものはイヤだけど、枠からはみでたヨサがあるものもある。

水曜日は「満つまめの会」と「おんなかっぽれ」
かっぽれは、なかなか体を使う踊りである。おとこかっぽれもおんなかっぽれの連中も
ほとんどが「満つまめの会」(まーくんの気功整体)のメンバーでもある。
そばのお弟子様が小布施のワイナリーがつくった日本酒を差し入れてくれ、
それを飲みながら、小布施、栗、成川さんの「おぶせびと」の話題で盛り上がった。
あたり前だけど、「おんなかっぽれ」の日は、男はわたくしひとり。
みんなはじけて、アホになった後に、蕎麦会をやるので、女子風呂にひとりいるような風情(これが風情かどうかはわからん)がある。
井原西鶴の時代から、おなごの好むもの「浄瑠璃 芝居 いも たこ 南京(かぼちゃやくり)」に変わりなし。
突然の話だけど、「能登栗の焼き栗棒」が天真庵でも販売することにあいなった。別名「天真甘栗?」 連休前にやってくる。

今日は仕込みが終わった後、神保町にいき、古本屋を徘徊。
中川一政の「いのち弾ける!」ほか、右肩がはずれるくらい買ってきた。
中川・・・の絵もいいけど、文がおもしろい。「腹の虫」は、秀逸なエッセー。(誰かに貸したままだ)
毎年、隅田川のウンコビルの近くのアビアントで、文人の書の展覧会がある。
友達の生井さん、書の先生の貞本さんら、生きている人たちに交じって、黄泉の国在籍の人たちの作品もでる。
一昨年に中川一政の書がでた。世阿弥の言葉を、彼の不思議な文字で揮毫していた。

じょうずは へたのてほんなり
へたは じょうずの てほん也   世阿弥

どの道にも通じることだ。さすが・・

「門の中に入っているのが専門家」「はいって出られないのが専門家」(中川一政)

♪しゃがが咲いた しゃがが咲いた 真っ赤ではないが・・・

平成最後の「染めもん展」の会期中にしゃが(著莪)が咲いた。アヤメ科の常緑樹で、春にはアヤメ
のような白地に青の華憐な花を咲かす。
一昨年のクリスマスに、58歳で召された「たて花」の先生・武内由希子さんの置き土産だ。

彼女は、染めもん展の河野さんと同じ京都造形芸術大学出身やった。友達の三上くんが
押上に天真庵を結んだ直後に紹介してくれ、二階で彼女の師匠の原田耕三先生が「生花」(しょうか)
の指導に毎月宇部からこられるようになった。竹の寸胴(ずんどう)に枯れ枝をVの字に削って「くばり」を入れて、そこに葉蘭を生ける、を
基本とする生花と立花。まさに生け花は、その花を生かせて、たてたり、きったり、ためたり(矯たり)しながら、
茶室やお部屋の中で「生かす」芸術である。そんなこともあり生前原田先生は天真庵に飾ってある白井晟一翁の「生」をこよなく愛した。
白井晟一翁の揮毫した書「道」というのも、能登の寒山拾得美術館に飾ってある。

原田先生の先生は、伝説の花人「岡田幸三」先生。池袋時代の天真庵の屋上に小さな「庭」をつくった。
その「庭」が和楽に紹介された時、岡田先生の花の記事ものっていて、「いつかこんな人に花を習いたい」と思っていた。
東京芸大を卒業したばかりの版画家であり、庭師の長崎剛志くんがやってくれた。今は海外でも活躍するアーティストになった。
能登の家の玄関には、彼の卒業記念の大きな版画が飾ってある。

岡田先生の「花の伝書」というのは名著だ。時々、葉蘭を生けよう、と思ったりする時に本箱から出してくる。
世阿弥の秘伝書「風姿花伝」に由来するような命名。
世阿弥は、能楽の土台をつくった人で、演出家、美学者でもあり、ミケランジェロのような天才でもあった。
彼は日常の「花」の大切さを説いた人でもある。よく京都の茶室などに「不失花」と揮毫された軸が掛けてあったりする。
「うせざるはな」という。花の色は移りにけりな・・・とうたった美人もいたが、それは「時分の花」
歳をとって、おっぱいが垂れたり、しわくちゃになったり、髪がうすくなっても、「生涯枯れない一枝」を持っていきなさい、
という意味だ。それには、毎日毎日繰り返される精進と、時にはバカになったり、狂い咲きするくらいの情熱をもちなさい、とのことだ。
まさに、人生の秘伝書かも。「もっと美しく生まれたら」「お金があったら」「素敵な彼(彼女)がいたら」・・
そんな尺度で「幸せ」を計るようなおろかなコトは、令和が始まるまでに捨てたほうがよさそうだ。
「・・たら」よりも「未見の我」(まだ見ぬ無限の可能性をもった自分の力)を大切に・・・感謝

今日は「書をしよう会」  今日はたぶん「令和」を書くに違いない。
明日は「おんなかっぽれ」

かんぞう

能登から持ち帰った「かんぞう」を食べた。一般には「のかんぞう」という。
ちょっと熱めの温泉(55度)につかるみたいにして10分。
それを笊にあげ水のシャワー。それしゃきっとしたサラダ感が残り、
ビタミンが破壊されず、色もあざやか。春を告げる土味である。

それを「酢味噌」で食べると、お酒を飲む時に、美味い(グビグビという声)音が聞こえる。
3日間の「染めもん展」が、あっという間に終わった。奈良は毎年いくけど、最近
はまったく上洛してへん。でも「染・・」があるので、毎年京都で花見をしてる感覚になる。

昨日は季節はずれの「味噌つくり」。昨年から気になっていた農業家が能登にいて、その人の
つくる「青大豆」を手に入れたので、筆子さんがひさしぶりにそれで味噌を仕込んだ。
「黒豆」を味噌に仕込むと同じくらい、煮汁がうまかった。もちろん塩は、能登の塩。

その煮汁を「そばつゆ」にした。「かえし」をいれて、しばらくおいてみた。
諸説あるけど、そばは最初に「お寺の精進料理」として始まった。「寺方蕎麦」
なんていいかたをする。京都のおひとたちに精進料理ではないけど、この三日間は
能登からもってきた野菜や山菜の精進料理が中心やった。そして打ち上げのしめ
が「寺方蕎麦」。「精進せなあかん」・・・精進って日常に使うけど、奥深い言葉やね。

今日はこれから「卵かけごはん」
味噌汁にも、青大豆の煮汁ベースで、野菜いっぱいの味噌汁をつくっている様子。
二階でパソコンをしてる鼻にいい香りが届く。台所の音とか香りというのは、
「またまた一楽」の風情がある。大根、ニンジンは能登の家の隣の畑産。
「五月菜」なる菜っ葉も近くの直売所で調達してみた。風薫る五月・・どんな味
なんやろ。「五月を食べてみたい」と五感が叫んでいる。おまけは「黒藻」
近くの漁港でおばちゃんが、「これ能登の高級食材」といってすすめてくれた。

夜は「論語の会」。幹事のSさんが九州にもどる前日につくった「わさび漬け」がおくられてきた。
今日はそれを酒肴にみんなで飲もう。日々是好日。

明日は「書の会」
明後日が「おんなかっぽれ」

今日まで京の染めもん展

能登の「寒山拾得美術館」の床の間に、和気亀亭(わけのきてい)の涼炉(りょうろ)がおいてある。
京焼の祖のひとりといわれる陶芸家だ。和気、つまり岡山(岡山県和気郡和気町)がルーツで京都で花開いた。
先週は東京から茶のお弟子さまがきて、「松尾栗園の焼き栗棒」をお茶請けにお抹茶を一服した。
茶碗は久保さんが作った唐津焼に、東大寺の清水公照さんが絵付けをし、絵唐津に
なったものだ。能登の里山に咲く山桜を見ながらの幸せな一刻。

今日まで染めもん展。
京友禅というのも、どうもルーツは京都ではなく石川にあるらしい。
友禅染は、江戸中期に京都東山に住む扇絵師、 宮崎友禅斎(みやざきゆうぜんさい)が創始した。京都のものは京友禅 、金沢のものは加賀友、として独自
に発展してきた。京都よりも加賀のほうが「原点」に忠実にきた、らしい。出生にもなぞが多いらしいが、最近金沢の東山ひがし茶屋街の近くの龍国寺にころがっていた墓石を立てると、それに「宮崎友禅斎」と刻まれていたらしい。京都と金沢の「ひがし」を報復して、友禅染を広げた、それだけで粋なおひとだとわかる。

能登の家は、そのうち女性専用の「(お世話)しあうハウス」にしようかと思っている。シャエハウスではない「しあうハウス」。
人は最後は「ひとり」になる。ずっとひとりの人の割合も増えているようだ。
血縁やお墓などに縛られるような時代ではなくなりそうだ。気のおけない仲間たちが、自分たちの「ぶん」と、
役割を生かしながら、自然の中で協力しながら生きる、というスタイルが始まりそうだし、すでに田舎暮らしにシフト
している人たちも、あまた見かけるようになってきた。仲間が死ねば、焼き場にいき、骨を近くの海で散骨する。「令和の野辺おくり」
「しあうハウス」になっても「ひとりの時間」は大切だ。自然によりそういながら、自分の時間を持つ、そこにの
真ん中には、「お茶」があってほしい、と思う。そうゆう暮らしを目指すといろいろな問題も「なんとかなる」じゃない。

そんなことが実現すると、ぼくは男なので、京都の「祇園」か金沢の「ひがし」の近くの老人ホームに入り、
毎日夕方になると、馴染みのお店にいって、かっぽれでも踊りながら酒が飲めたらいいな、と思う。
年をとってくると、想像力が若いころよりたくましくなる。でも、だから酒がますますうまくなる。

今日は日曜日なのでお店は16時まで。二階の「染めもん展」は、日が暮れるまでやっておりまする。感謝。

「下宿屋」を聞くと、京都にいきたくなるよ

ゆーちゅぶで「下宿屋」で検索すると、京都のよき時代を彷彿させる加川良の名曲「下宿屋」
を見ることができる。

♪京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋はふるえているみたいでした・・・

ぼくが昭和51年に住んでいる下宿屋は、松ヶ崎というところにあった古い一軒家だった。
窓から「宝が池自動車学校」と「ノートルダム女学院」が見え、そのガラス窓に植木があって、メジロとか
シジュウカラなんかが遊びにきていた。二階には岡山出身の京大生がいて、現役で司法試験に合格し、
酔うとぼくの部屋にきて、「民法はこのダットサンをしっかり読め」とか「おまえの大学の総長・末川先生の権利の乱用は・・」
とか、難しい話を岡山弁でまくしたてた。そして最後にいつも「おまえもしっかり勉強して弁護士になれ」
が口癖やった。「下宿屋」をときどき聴いてみると、そんな昔のことを思い出したりする。

ぼくの朝の散歩コースは、深泥池(みどろがいけ)まで歩き、そこから坂をだらだらあがって、圓通寺界隈を
ぶらぶらするのが好きやった。その坂をのぼったあたりに、陶芸家のアトリエがあった。そこに遊びにいくように
なったのが、いまのような生活をする道につながっているように思う。

平成7年に「天真庵」というギャラリーを池袋に結び、翌年にその陶芸家の陶芸教室に通っていた「富夢さん」
こと野村富造さんを紹介され、毎年「染めもん展」をやるようになった。2011年に富夢さんが風のように
旅立たれ、バトンタッチするように河野夫妻がそれを紡いでくれ、平成から令和に変わるここまで、
20年くらいやっていることになる。歳月人を待たずであり、光陰矢の如しでもある。

河野さんはぼくと同じ年。京都造形短期大学(いまは4年生)の一期生である。
ルーツは九州の海賊の「河野水軍」らしい。そんなこともあり、能登の天真庵の話を
すると目がキラリと輝く。夏のTシャツは河野さんのをよく着る。
よそ行きの作務衣は、「こんなのつくれへん?」と注文してこさえてもらったものだ。
これから隠居は無理としても、スローライフを目指している人は、彼の作る「作務衣」(さむい)
はいいよ。

♪京都の秋の夕暮れは作務衣なしでは寒いみたいで     (ちょっと寒い?)

今年は、和服の生地で、「ペットの洋服」も並んでいる。
元気(ちわわ)が生きていたら、おそろいの浴衣の生地で作ってもらって、江戸のダウンタウンを
いっしょに散歩できたのに・・・なんてことを思ったりした。既製品を6枚くらいもってきて
いるけど、オーダーメイドも承るらしい。着物といっしょに作って、深泥池を散歩・・・
京都道の大学院コースみたいなもんやな~。木屋町あたりは「ニセ舞妓さん」や「なんちゃって着物美人?」
がそぞろ歩きしてはるけど、やはり日本人らしく「ちゃん」と着こなしてほしいもんやね。

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20日(土)13~19時

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