梶井基次郎の代表作に「檸檬」というのがある。
それの中にでてくる八百屋が、京都の寺町にあり、通っていた大学のすぐ近くなので、
そのころ読んだ。「 桜の樹の下には 」というのもある。
・・・桜の樹の下には 屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。 俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった...
昭和20年3月の東京大空襲で下町の10万の人が一夜で死んだ。その屍は、学校の校庭や公園や空き地に積まれた。体験した人たちは、
歩いていて石にぶつかってつまずいた、と思ったら、黒こけた死体だった、と語る。生き残って屍を運んだ人も、その塊のひとつひとつ
が、「生きていたひと」だということを感傷するような余裕もなく、無心で運んだに違いない。
この季節にこの界隈の公園に咲く桜を見るたにに、この小説を思い出し、そこに無念にも眠る精霊に手をあわせたくなる。知らぬが仏、みたいな話ではあるが・・
昨日はそんなことを思い出させる錦糸公園の横を過ぎて、よくいく骨董屋をのぞいた。
昨年の秋にまだ50になったばかりの奥様をなくされ、ここんところ元気がない。天気がいいので店の前に椅子をふたつだし、
自販機のミネラルウォーターを飲みながら、骨董談義。「明日で死ぬ」という日、どんな茶碗でお茶を飲むか?
酒はどんな酒器で飲むか?終の棲家はどこにしようか?庭には何を植える?灯籠は?茶室は・・・・・
たわいのない話をあれこれ談論風発しながら、水盃よろしくペットボトルが空になる。話す内容も空だが、
若いころにはない「空想力」や「妄想力」がでてきたように最近おもう。
今日はN響のやまねさんが、藤田さんと素敵な音楽会をやってくれる。16時閉店。
山根さんのコンサートによくきてくれた素敵な女性も先月若くして旅立たれた。
今日はその国からコンサートを聴きにこられるのではなかろうか。
ショーケンも68歳で逝った。平均年齢は延びているようだが、人生は思ったよりも短いような気がする。
今本屋に「古民家カフェ日和」(世界文化社 川口葉子著)が積んであると思う。
東京の古民家のカフェを紹介してくれていて、天真庵も末席にちょろっとのっていて、
お味噌作りや、音楽会につならがるピアノのエピソードなどが彼女の言葉でやさしくつづられている。
明日も素敵な音楽会。
29日(金) MUSICA LIBERA TOKYO
演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)
30日(土)ボサノヴァ de 花見
演奏:山本ひかり(歌・ギター)
19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)